2010年5月14日金曜日

インサイド:学ぶ・考える・やってみる 小平奈緒のスケート哲学/2

(毎日 4月28日)

バンクーバー五輪で、小平奈緒の両親、安彦さん(55)と
光子さん(54)は、スタンドで3人姉妹の末っ子を応援。
2人とも、海外は初めて。
最後の種目、女子団体追い抜きで表彰台に立った
娘の姿を目に焼き付け、幸せを感じた。

安彦さんが一番印象に残っているのは、
日本選手団の鈴木恵一・総監督にかけられた言葉。
「小平は500m2本、1000m、1500m、
パシュート(団体追い抜き)の3レース、全部で7本もこなした。
多分、世界中でたった一人しかいませんよ」
我が子ながら、すごい、と改めて思った瞬間。

小平の人生最初のコーチは、スケートの選手経験など
全くない会社員の安彦さん。
小学校のクラブで、スケートを始めていた姉たちを、
近所にできた茅野国際スケートリンクで練習させようとした時、
当時3歳の小平を置いていくわけにもいかず、
連れていったのが始まり。
リンクサイドに、スケート靴をはかされたまま放っておかれた
小平は、いつの間にか氷上に立って、リンクを1周していた。

小学校では、姉たちの後を追うようにスケートクラブに入り、
姉たちよりも熱中。
末娘のため、安彦さんはサポートを考えた。
ゴルフやテニスには、初心者用の指導書があるが、
スケートにはなかった。
地元の茅野や岡谷で、実業団の大会が開かれると、
奈緒と一緒に見に行った」

茅野のリンクで受付をしていた光子さんは、
日本代表クラスの選手が大会前に練習に来ると、
電話で連絡したりもした。
「白幡(圭史)さんが来たよ」
母の電話で、父子は急いでリンクに行った。
「練習やレースをじっと観察して、『こんな練習をしていた』、
『足をこう動かしていた』、2人でよく話した」と安彦さん。

試行錯誤で、間違った指導だったかもしれない、
と父は首をひねるが、小平は、
「私のスケートの原点は父です」と感謝。
「見て、考えて、やってみる、というサイクルを
教えてくれたのが、父ですから」

小学5年のとき、小平のスケートへの熱中度を
一気に増す出来事が起きた。
地元・長野で開催された、98年の冬季五輪。
小平は、500mで金メダルを取った清水宏保と、
銅メダルの岡崎朋美のビデオを、テープがすり切れるほど見た。
中学2年のころ、本当にテープが切れてがっかりした。

五輪後の両選手の特集番組も、欠かさずチェックして録画。
ある番組で、岡崎が階段ダッシュのトレーニングをしていると、
見終わった後、自分も近所の坂を駆け上がる練習。
「ただただ、速くなりたかった。
岡崎さんみたいにきつい練習をしたら、速くなる、と思っていた」

小学校に入ったころ、「将来はオリンピック選手になりたい」と
口にしていたが、「『ウルトラマンになりたい』と言うのと同じ感覚」
長野という土地で、五輪の空気を体で感じたことで、
五輪選手という夢を、本気で考え始めた。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/news/20100428ddm035050049000c.html

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