2009年4月18日土曜日

「グランドスラム」への扉(5)盛田正明氏 リーダー像、指揮者に学ぶ

(日経 3月12日)

盛田氏は1963年、トランジスタを生産する厚木工場(厚木市)に異動。
厚木工場では、副長でナンバー3の立場。
半導体技術の知識は、部下である若い技術者にもかなわない。
必要な決断はしなければならなかった。
「これは大変だ」と悩んでいたある休日のこと。
日比谷公会堂にNHK交響楽団の演奏を聴きに行って、はっと気が付いた。

オーケストラの指揮者は、
楽器を演奏できなくても全体の演奏をまとめている。
「あれだ」と思った。
その後は、技術者と細かい技術の内容で議論することをやめた。

その代わり、市場や世の中の状況を分析し、どうすれば競争に勝てるのか
方向性を決める能力では負けないように心がけた。
それ以降は、知らない分野に異動しても、
リーダーとして何をすればいいか、悩むことはなかった。

私の性格は、悪く言えば優柔不断だが、よく言えば柔軟性がある。
新しい場所や雰囲気にもなじめる。
直前まで嫌だなと思っていても、すぐ慣れて前の仕事のことはすっかり忘れ、
新しい仕事に集中できる。
この性格で乗り切ることができた。

リーダーの仕事は、部下をやる気にさせること。
その点で、井深大さんは技術者の才能を引き出す天才。
東京通信工業時代はまだ中小企業で、
大手のように優秀な人材が集まらない。
それでも、みんなを張り切らせて夢中にさせた。
いつも不可能ぎりぎりの目標を設定し、それを達成させてきた。

成功すると、井深さんは「ようやった」と褒めてくれる。
成功体験を積みながら、次の目標に向かって走り出していた。
あれがソニーの強さであり成長力だった。

厚木工場で4年が過ぎたころ、井深氏に呼ばれ、
技術企画部長になるように言われた。
井深さんに、「何をやればいいんですか」と聞くと、「自分で考えろ」と言う。
部屋も部下もすべて一から手配し、1人で考えさせられた。

1970年代初めに発売したUマチック方式の家庭用
ビデオテープレコーダー(VTR)の販売が伸び悩んでいた。
ビデオテープを初めてカセットにした画期的な商品だったが、
当時はまだ家庭でビデオを見るなんて誰も想像していなかった時代で、
製品も大きく価格も高かった。

サイズを大幅に小さくしたベータ式ビデオテープレコーダーの
開発が進んでいた。
技術企画部では、ベータ方式の製品をどのように市場に
投入すればよいかが検討課題に。

http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/hiroku/hir090311.html

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