2009年4月16日木曜日

「グランドスラム」への扉(3)盛田正明氏 技術とビジネス、違い痛感

(日経 3月10日)

東京工業大学の学生だった正明氏は、東京通信工業(現ソニー)を
設立した井深氏や兄(昭夫氏)の薦めで、磁気材料を勉強。

井深さんは、日本で誰も手掛けていなかったテープレコーダーを
開発しようとしていた。
東工大の星野教授の下で磁気素材を学んだ私は、
卒業後は実家の酒屋を手伝おうかと考えたが、
せっかく勉強したことを生かすため、設立5年目のソニーに入社。
実家は、二男の和昭が継ぐことに。

入社すると井深さんに呼ばれ、京都で映画の技術を学ぶか、
東北大学で磁気材料を勉強するか、どちらかをやってくれないかと。
井深さんは、映画の技術にも興味を持っていた。
隣にいた兄が、「京都に行くと遊んでしまう。仙台に行け」と言うので、
東北大の科学計測研究所に研究生として行くことに。
磁気の研究で、世界的に有名な岡村俊彦先生の下で働いた。

1951年、24歳の時、盛田氏はソニー1年目を東北大研究員としてスタート。
井深さんは、新入社員に給料を払いながらよく勉強させたなと思う。
ソニーは創業間もない中小企業で、社員も数十人。
当時は、父(盛田久左衛門氏)らから資金援助も受け、
人手も資金も足りなかったはず。
それでも私を派遣したのは、将来を考えていたからだろう。

東北大は、磁気の最先端技術を研究。
東工大時代はあまり勉強しなかったが、東北大では週に3日徹夜するなど
本気で取り組んだ。

蘭フィリップスの報告書に目を通していると、フェライトを使うと
当時の電話線の30倍以上の情報量を伝送できると。
日本電電公社(現NTT)の依頼を受け、東京・三鷹にある研究所で
1、2カ月実験し、欧州に負けない水準のフェライト開発に成功。

特許も取得できたので、嬉しくなって井深さんに
「これは商売になる」と薦めた。
井深さんは、「おまえは考えが甘い」とあっさり否定。
電電公社は、日立製作所や東芝のような大手と取引しているため、
ソニーのような中小企業は入り込めないと言われた。
井深さんの言う通りで、下請けの小さな仕事は受注できたが、
大きな商売にはならなかった。

「どれだけいい技術があっても、ビジネスになるとは限らない」ということを
学んだ強烈な経験だった。
井深さんも、苦い経験をしたことがあったのだろう。
「ソニーは、コンシューマー(消費者)向けに特化しなければいけない」と強調。
一般消費者は、商品が良ければ買ってくれる。
しがらみのない市場でなければ、ソニーのような小さな会社は成功できない、
というのが井深さんの考え。

http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/hiroku/hir090309.html

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