2009年4月1日水曜日

ノーベル賞の下村氏が記者会見「日本の若手、元気ない」

(日経 2009年3月23日)

2008年ノーベル化学賞を受賞した下村脩・米ボストン大学名誉教授(80)。
下村名誉教授は、日本の若手研究者について、
「少し難しくてもやろうという元気がない」と指摘、
自分が興味を持つ研究にリスクがあっても取り組むことの重要性を強調。

——(下村名誉教授の)子供時代と今の日本の違いは?

「戦後、米国のデモクラシー(民主主義)が入ってきたが、
正しいデモクラシーではなく、単に自由に何でもできるということを
デモクラシーと考えている人が多い。
当時と比べると裕福になった。
現在の状況下に自分が若かったら、米国に行く必要はなかった」

——来日はいつ以来?

「昨年の4月以来。大きな違いは、自分がノーベル賞をとったこと。
報道陣に囲まれるので大変」

——(来日で)楽しみにしていたことは?

「先祖の墓参りや94歳の叔母に会い、大変喜んでくれた。
たくさんの人に会えるのがうれしい」

——2000年以降、科学分野で日本のノーベル賞受賞が相次いでいる。

「それ相応の数だと思う」

——自分が成功した要因は?

「自分は成功したいと思って、研究しているわけではない。
自分が知りたいこと、解決したいことを研究しただけ。
今の日本の若い人は、努力が足りない。
日本の若い研究者には、面白い研究があっても難しいからやめておこう、
という人が多い。少し難しくてもやろうという元気がない。
安全のためにリスクをとりたがらない」

日本の国民性は、ユニホーム(単一)。
米国は範囲が広い。いろんな性質、才能を持った人がいる」

——原爆投下後の長崎で、なぜがんばれたか?

「当時の長崎は悲惨で、研究できる状態ではなかった。
実験の助手だったが、(実験に不可欠な)蒸留水も、
自分たちで石炭をたいて作った。
名古屋大でウミホタルの研究をしたときも、自分は学位を取りたいと
思っていた訳ではないし、失敗してもともとだと思って、一生懸命やった」

——リスクをとって、2度目の米国行きを決めたのはなぜ?

「名古屋にいたら、数年間で教授にしてくれるという。
水質科学の研究室にいた。
発光生物の研究と水質の研究を2つをやるのは無理だと思い、米国に渡った」

http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/kaiken/kai090323.html

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