2010年1月8日金曜日

「VW劇場」へようこそ

(日経 2009-12-29)

スズキが、フォルクスワーゲン(VW)と資本業務提携で合意、
2010年に世界最大規模の自動車メーカー連合が誕生。

「イコールパートナー」を目指すスズキが付き合うVWは、
発足の歴史に根ざした複雑な株主構造を持ち、
株主たちの利害対立が、思わぬ混乱を招く。

09年12月9日、資本業務提携の狙いは明快。
技術の多様化と低コスト化で、自動車メーカーの課題は増えている。
VWは、スズキにラブコールを送り、スズキは自分の得意分野に集中、
不足するところは補い合うパートナーが必要と決断。
VWは、スズキに19.9%出資、スズキもVWに最大で約2.5%出資。

スズキの鈴木修会長兼社長は、VW株の流通量の少なさを指摘。
もう少し出資してもいいが、市場に出回っているVWの
議決権付き株式はもともと少ない。
05年、ポルシェがVWの買収に乗り出し、09年1月過半数を取得。

筆頭株主となったポルシェの議決権付き株式は、
ポルシェ家、ピエヒ家というポルシェの創業一族が保有。
VWの名車「ビートル」を開発、第2次大戦前の国民車構想で、
ドイツ北部ウォルフスブルクの工場で、VWの礎を築いた
フェルディナント・ポルシェ博士の一族がVWのオーナーに。

ポルシェのVW子会社化は、ヴォルフガング・ポルシェ監査役会長、
破綻寸前のポルシェを救ったヴェンデリン・ヴィーデキング社長、
ホルガー・ヘルター最高財務責任者(CFO)によるプロジェクト。
外資やヘッジファンドによる敵対的買収から、
VWと共同開発した多目的スポーツ車「カイエン」など
ポルシェのビジネスモデルを守るという大義。

しかし、VWは簡単な会社ではない。
VWは、ポルシェ博士の娘ルイーズの子、
フェルディナント・ピエヒ監査役会長が、アウディ社長を経て、
93~02年社長を務め、最高意思決定機関である
監査役会のトップを務める。

ポルシェ一族は、経営に直接タッチはしないが、
ピエヒ氏は自動車メーカーのマネジメントを知り、
自動車殿堂入りした博士の一族の顔に。
ピエヒ氏を「家長」と呼び、ポルシェの3人組の買収を
「権力闘争」と報じた。お家騒動である。

ここで登場するのは、ウォルフスブルクの本社、ハノーバーなどの
国内工場を抱えるニーダーザクセン州。
第2位株主の同州は、20%の株式保有で、
VW株主総会での決議で「拒否権」を持つ。

ドイツの法規で、本来25%を超える議決権が必要だが、
VWは普通の会社ではない。
第2次大戦中、VW工場は軍需工場となり、
民間用のカブトムシはわずかしか作られなかった。
強制労働も行われ、軍用乗用車「キューベルワーゲン」や
水陸両用車「シュヴィムワーゲン」、軍用機の部品など生産。

戦後、英国軍政部の管理下で再生。
ドイツ連邦政府(西ドイツ政府)に委譲、
ニーダーザクセン州に運用が任される。

1960年、部分民営化のとき、施行されたのがVW法。
連邦政府と州政府は株主となり、監査役会のメンバーも送る。
連邦政府は株式を手放し、州政府は保持し続ける。
VW法では、大株主の議決権行使は20%に制限。
州政府が株式を保有し続ける限り、
VWはポルシェの意のままにはならない。

ポルシェに残された道は、特権の撤廃。
EUの欧州委員会が、欧州司法裁判所に訴え、
大株主の議決権制限や20%の保有による州の「拒否権」が、
資本の自由移動を認めるEUの法令に違反すると判断。

しかし、相手も手ごわい。
VW監査役に名を連ねるクリスティアン・ヴルフ州首相は、
メルケル首相と同じ保守キリスト教民主同盟(CDU)。
有力政治家として、メルケル氏の好敵手とされるヴルフ氏は、
VW株保持の意志を貫く。

VWで圧倒的な力を持つのは、国内工場の従業員と、
ほとんどが加盟する欧州最大規模の金属労組(IGメタル)。
雇用確保という問題で、州政府と利害関係が一致。
共同決定法により、VW監査役会のメンバーも、半分は
職場の従業員代表とIGメタルの関係者が占めている。

08年の株主総会、ポルシェはニーダーザクセン州の特権を
認めない議案を提出、同州はこれを認める議案を出す。
ポルシェを支持する方が多いが、決議されなかった。
真っ向から対立する大株主。
ポルシェの面々を風刺した横断幕を掲げ、
従業員やIGメタルは力任せの3人組に抵抗。

08年、VW法はニーダーザクセン州の拒否権を残した形で改正。
EUの判決を吟味した連邦政府は、拒否権だけは妥当と結論。
メルケル首相も、ウォルフスブルクを訪れて喝采を浴び、
元大株主の面目を保った。
ポルシェは、本業の販売低迷も重なり、
取得費用の負債だけが残った。

「お家騒動」は、ピエヒ氏のVWがポルシェを逆に買収し、
経営統合するという決着。

「VWのことがわかっていない」。
ポルシェによる子会社化闘争に、VWの関係者がため息混じりに。
創業一族、政治家、労組・従業員のバランス。
それを覆そうとしたポルシェの3人組は、
金融危機の誤算があだとなり、
ヴィーデキング氏とヘルター氏がポルシェを去った。

「政労使」のバランス。
06年、ベルント・ピシェツリーダー社長の解任劇も象徴的。
ピシェツリーダー氏は、VWの中核である乗用車事業の
高コスト体質を見抜き、ピエヒ氏が社長時代に3万人の余剰人員を
守った国内工場の「ワークシェアリング」に終止符を打とうとする。
ピエヒ氏の肝いりで開発した高級車「フェートン」の米国輸出をやめる、
スカニアとMANとのトラック連合で意見が対立している、など
「権力闘争」の見出しが躍り、ピシェツリーダー氏は解任。

VWはこの30年、拡大路線後にピンチを迎えている。
米国進出や買収で伸びきった経営を、ピエヒ氏が品質とコストを
重視した経営に切り替える。
国内工場の余剰人員問題は、ピシェツリーダー氏のクビと
引き換えに一定の解決をみた。

ポルシェを、10番目のブランドとして引き入れた
マルティン・ヴィンターコーン社長のもと、
VWは新たな拡大戦略に。

VWのシステムは、未来永劫変わらないのか?
スズキとの提携合意直後、カタール投資庁傘下の
カタール・ホールディングが、VWへの出資比率を引き上げた。
カタールは、創業一族だけが持っていたポルシェの議決権付き
株式を取得、ポルシェのVW株購入オプションを買い取った。
骨肉の争いとなった買収劇の後始末は、
中東のオイルマネーが買って出た。

09年末時点の出資比率は、ポルシェが51%、
ニーダーザクセン州20%、長期的視野で投資するカタール17%。
新しい役者たちを迎え、新装「VW劇場」の幕が開く。

http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/mono/mon091228.html

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