2010年6月9日水曜日

インサイド:五輪ボイコット30年・第2部 政治に敗れたJOC/3

(毎日 6月3日)

五輪ボイコットに向け、「外堀」は隠密のうちに埋められていった。
JOC総務主事だった岡野俊一郎・現IOC委員(78)は、
80年5月23日夜、日本体育協会の河野謙三会長から
緊急招集を受けた。
行き先は、銀座のレストラン「千疋屋」。

河野会長がよく利用していた千疋屋には、体協幹部が集結。
体協の下部組織だったJOCから、柴田勝治委員長も。

岡野氏は、「行ってみたら、河野さんが伊東(正義)官房長官に
電話して、『君、明日、体協に来て説明しろ』と言ったんだ。
伊東官房長官は、カーター米大統領がボイコットの可能性を
公にして間もないころ、『日米関係をよく考えてくれ』と我々に言った人。
伊東さんに改めて説明させるということは、
ボイコットなのだなと思った。
JOCの言い分を聞くというより、空気で悟らせる集まりだった

河野会長、柴田委員長、伊東官房長官も既に亡くなった今、
岡野氏はボイコットにいたる水面下のやりとりを知る数少ない人物。

79年、在テヘラン米大使館人質事件での「弱腰外交」が
非難されていたカーター大統領が、五輪イヤーに行われる
大統領選を控え、五輪ボイコットで対ソ強硬姿勢を示した、
という見方は根強い。
米国との関係を重視する日本政府の方針を考えれば、
岡野氏には、政治家で参院議長も務めた河野会長の意図が
十分伝わってきた。

翌日の体協臨時理事会は、執行部の方針で議事録を取ることが
許されなかったが、体協国際担当参事だった伊藤公さん(74)は、
ひそかに速記。
「伊藤メモ」によると、伊東官房長官は「政府の本心を言えば、
参加することに反対、ボイコットしてくれということだ」

続くJOC臨時総会では、柴田委員長が
「ナショナルエントリー(国別申し込み)は無理」と委員長見解を述べ、
多数決で不参加が決まった。
JOCをまとめる総務主事の立場から棄権した岡野氏は、
スポーツが、政治と無関係であるとは言えない。
だが、政治に利用されるのは困る」と複雑な心境。

権威に弱い日本スポーツ界の体質が、政府の介入を招いた
側面は否定できない。
西側諸国でも対応は異なり、英国、フランス、スペインなどは
参加に踏み切った。

欧州の情勢を調査した当時の体協競技力向上委員長、
福山信義さん(78)は、「欧州では、『私はこう思う』という感じで、
個人の意思の尊重を強く感じた。
日本国内では、何とか五輪に行かせたかった私に、
『下克上をやるつもりか』と言った人もいた」

参加を後押しする世論の支持も、十分に得られなかった。
柴田委員長は、報告書で「オリンピック運動が、
本当に大衆の間に根を張り、理解されていたかどうか。
スポーツの重要性が大きいわりに、社会的に低い位置に
あることは、検討と対策を必要とする」と結んでいる。

その状況は依然変わらない。
リオデジャネイロに開催地が決まった16年夏季五輪招致、
東京の地元支持率は、立候補4都市中最低の55・5%(IOC調べ)。
JOCの竹田恒和会長は、「五輪での活躍は国民の活力になり、
子供に感動、希望、夢を与える」と訴える。

事業仕分けで、政府からの補助金削減が打ち出されるなど、
今もJOCは逆風にさらされている。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/news/20100603ddm035050122000c.html

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