2010年8月31日火曜日

アメフット:スタンフォード大コーチの河田剛さんに聞く(1)

(毎日 8月16日)

スタンフォード大学といえば、ハーバードと並び称される
米国きっての名門私立大学。
鳩山由紀夫前首相やルース駐日米大使もOBの同大学は、
学業水準だけでなく、スポーツでも全米屈指のレベル。

スタンフォード大学のアメリカンフットボール部で、
一人の日本人がコーチングスタッフとして活躍中。
河田剛さん。
「昨シーズン、チームは8年ぶりに勝ち越し、
ボウルゲームにも出場しました」
河田さんは今、日本人の選手や指導者の中で、
米プロフットボールNFLに最も近い存在。
9月から始まる4年目のシーズンを前に、
今季の抱負や、自身の夢を聞いた。

河田さんは1972年生まれ、埼玉県の出身。
城西大学でフットボールを始め、社会人の
リクルート・シーガルズ(現オービック)でもプレー。
ポジションはオフェンスライン(OL)、
シーガルズ時代はライスボウル(日本選手権)3度優勝、
第1回ワールドカップで、日本代表が優勝した際のメンバー。
03年シーズンで引退、04年から3年間シーガルズのコーチ。

河田さんが、米国でコーチをするきっかけとなったのは、
05年春、NFLのアトランタ・ファルコンズの
新人キャンプを訪れたこと。
96~97年、シーガルズでコーチをしていたロバート・プリンス氏が
前年の04年、ファルコンズのコーチに就任。
昔教えていたシーガルズの選手・コーチに、
「キャンプを見に来ないか」との誘い。
河田さんは、2回渡米、合計2週間ほどキャンプを見学。

当時、ファルコンズのヘッドコーチ(HC)だったのは、
就任2年目の若手理論派ジム・モーラ氏。
「モーラさんは、NFLの各チームから、優秀なコーチを集めて
チーム作りをしていたので、私はそこで当時のNFL最先端の
技術や理論を目の当たりに」

ゾーンブロックの指導では、NFL随一のアレックス・ギブス氏、
ウェストコースト攻撃の専門家グレッグ・ナッブ氏、
現レイダースHCのトム・ケーブル氏など、そうそうたる顔ぶれ。
モーラ氏は、練習を公開するのを好まないため、
見学を許された部外者は河田さんを含め2人だけ。

「幸運なことに、05年8月、ファルコンズは来日、
プレシーズン戦を東京で戦った。
その際、1週間チームに帯同することができた」
合わせて3週間の経験が河田さんを、
コーチとしての新たな領域に踏み切らせた。

ファルコンズのキャンプが河田さんにもたらしたのは、
技術や理論だけにとどまらない。
トップ級のコーチたちとの人脈ができたのだ。

NFLのフォーティーナイナーズでも活躍したクリス・ダルマン氏が、
07年、母校スタンフォード大学のコーチとなった際、
河田さんに声をかけた。
ダルマン氏は河田さんと年齢が近く、
現役時代のポジションも同じOL。

プロのコーチとして生きていく目標を立てていた河田さんは、
春にさっそく渡米。
NFLのスター選手だった新任のジム・ハーボウHCに、
無給のボランティアとしてチームの手伝いをしたいと申し出た。
勤めていた会社を辞めると、大学近くに住んでいた
日本人の知人に同居させてもらい、「コーチ修業」を始めた。

日本で大学、社会人とステップアップし、さまざまなフットボールを
体験してきた河田さんだが、本場の名門大学で目にしたのは、
まったく違うものだった。

毎日が驚きの連続。とにかくスケールが違った。
アウェーの試合で、敵地に移動するとき、
市内から空港まで警察のバイクが先導、赤信号でも止まらない。
空港でも、チーム専用機の横まで移動し、
乗り込む際に身分確認を受けるだけ」。

試合開始前のロッカールームには、「毎回、新品のチームロゴ入り
キャップ、ポロシャツ、チノパンツがコーチ・スタッフ全員分ある」

極めつきは、スタジアム。
ライバル校との対戦では、南カリフォルニア大学の本拠地
メモリアルコロシアムでは9万3000人、
UCLAの本拠地ローズボウルスタジアムは9万1000人。
「ブーイングで、すぐ隣にいるコーチと会話ができないほど」

「TK」というニックネームで呼ばれるようになった河田さんが、
チームで与えられた役割は、ビデオで対戦相手の守備を解析。
「最初の3カ月が勝負だ、と思って馬車馬のように働いた」

ビザの関係で、シーズン中の10月に一度日本へ帰国、
その際に「TKがいなくて不便だな」、「戻ってきてくれないと困るな」と
思わせなければいけない。

毎日10時間以上、対戦相手の試合のビデオを
1プレー1プレー精査する日が続いた。
シーズン中は無休、朝6時に起きてすぐオフィスに向かい、
帰宅は12時過ぎ。
オフィスに泊まり込むこともしばしば、睡眠時間は3~4時間。
「『誰もができることを、誰にもできないくらいやる』をモットーに、
米国人スタッフの倍は働いた。
未婚で家族がいなかったので、時間はあった」

作業スケジュールを図表化したり、データをグラフ化したりと、
ちょっとした部分で工夫を重ねていった。

河田さんの努力は認められた。
ハーボウHCは、シーズン終了後、河田さんをオフィスに招き、
「来年は、スタッフとして働くためのビザ獲得をサポートしよう」と
言ってくれたのだ。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/archive/news/2010/08/16/20100816mog00m050008000c.html

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