2009年6月6日土曜日

逆風の中で:第4部・冬季競技の模索/5 ST、実業団の壁消え

(毎日 5月23日)

ショートトラックは、2つの企業チームが中核となって日本代表を輩出。
92年アルベールビル五輪男子五千メートルリレー銅メダルの
川崎努や赤坂雄一らが所属した帝産オート(現帝産観光バス)、
リレーメンバーの石原辰義や88年カルガリー五輪(公開競技)
女子三千メートルで金メダルの獅子井英子がいた西濃運輸

94年リレハンメル五輪後、相次いで解散。
当時、帝産オート総務部長でスケート部長でもあった
亀岡寛治・帝産観光バス社長は、
「バブル不況による経営不振が理由。私も廃部は仕方ないと思った」

石川良並・帝産グループ会長(当時)は、
日本スケート連盟副会長を務め、競技に理解が深かった。
82年創部のスケート部は、87年完成の専用リンク(長野県南牧村)で
「毎日、氷上で4時間以上、陸上トレーニングを含め6~8時間練習した」
西濃運輸に専用リンクはなかったものの、
名古屋市内の一般リンクを毎日使用できた。

日本の成績は98年長野五輪後、徐々に低下し、
06年トリノ五輪では決勝進出種目ゼロ。
トヨタ自動車やサンコーなど企業チームはあるが、
一般リンクの使用が限られるなど氷上練習は十分でない。
93年まで9年間、帝産オート監督を務めた
柏原幹史・同連盟ショートトラック強化部長は、
「帝産や西濃の廃部の影響は大きかった。
高校や大学を卒業後、競技を続ける環境も減った」

最近は、個人にスポンサーがつくケースも増えたが、
不況の影響は否めない。
ある日本代表選手には、「スポンサー数社が一時ついたが、
今は全部離れた」(柏原部長)といい、選手を取り巻く環境は不安定。

帝産リンクは今も存続し、普段は地元小中学生のクラブが活動。
亀岡さんは、「ジュニア普及の場は残したかった」
問題は、やはりトップ選手の強化。

現在、連盟の強化指定選手らは、4月から東京都内で
2カ月間の長期合宿を行っている。
柏原部長は、「昔のように、それぞれの実業団が強化拠点では
世界で勝てない。今は実業団の間の壁もなくなり、
ナショナルチーム体制を取りやすい」と現状のメリットを指摘。

企業チームの休廃部が招く国際競技力の低下は、
日本スポーツの大きな課題。
ここにどうくさびを打ち込むか?
日本代表を集中強化して挑む来年のバンクーバー五輪で、
その成果が問われる。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/archive/news/2009/05/23/20090523ddm035050010000c.html

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