2009年4月19日日曜日

「グランドスラム」への扉(6)盛田正明氏 「タイムシフトマシン」発売

(日経 3月18日)

技術企画部の部長に就任した盛田氏は、
家庭用ビデオテープレコーダー(VTR)のマーケティングを担当。

社内で希望者を募り、最終的に15人ほど集めた。
マーケティングの仕事を進めるには、他の部署と何度も議論したり
交渉したりする必要がある。
そのたびに会議室に集まるのは面倒。

そこで部屋の中央にソファを置き、ソファの周りを囲むように
社員の机を配置した。
他部署の社員が技術企画部を訪れると、真ん中のソファに座ってもらう。
誰かが「今日はこんなことがあった」と切り出すと、
それに応じて別の社員が「じゃあこうすればいい」と応じる。
ワイワイガヤガヤと、自分の意見を言い合える自由な雰囲気があった。

当時、ビデオは放送局や大学など業務用に使うもので、
家庭で使うという発想はなかった。
家庭でビデオを使う楽しさを消費者に分かってもらうため、
兄(盛田昭夫氏)は「これは『タイムシフトマシン』だ」と言い出した。
テレビ番組は、自分が見たい時間に放送していない。
ビデオに録画すれば、放送時間を自由に移動させることができ、
いつでも好きなときに見ることができるという意味。

井深大さんと違い、兄の発言や発想には
「自分と同じような事を考えるなあ」と感じることが多かった。
他の社員が兄と話し始めると30分近くかかっていたが、
私と兄は以心伝心で、いつも5分で話が済んだ。
兄は私と違って粘り強く、1度決めたことは何としてもやり遂げる性格。
その執念はすごかった。

1973年、盛田氏は取締役に就任。
75年に家庭用VTR「ベータマックス」を発売。
役員になってから、兄とは毎週火曜日の早朝に本社近くでテニスをした。
その後シャワーを浴び、経営会議に出るのが習慣。

私たちは、全国の販売店をまわり、
ビデオの販売に力を入れてほしいと頼んだ。
販売店はテレビを売ることには熱心だったが、
まだビデオが売れるとは思っていなかった。
カメラ店がカメラだけではなく、フィルムや現像で稼いでいることを例に、
ビデオを売れば、その後も継続的にビデオテープの販売で稼げることを
強調し協力してもらった。

ベータ方式は、残念ながらVHS方式との規格争いに敗れた。
技術は良かったが、商売で負けた。
メディアにもたたかれ、人生で最も悔いが残る苦い経験に。
家庭にビデオを普及させるという、誰もやったことがないことを
なし遂げたという自負はある。

http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/hiroku/hir090317.html

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