2009年7月20日月曜日

七恵さんの志忘れない 女子マラソン名須川選手誓う

(岩手日報 7月14日)

女子マラソンの魂は受け継がれていた―。

東京マラソン優勝で、国内トップランナーの仲間入りをした
奥州市出身の那須川瑞穂選手(29)=アルゼ、花巻南高出=は、
5月中旬にかけた一本の電話を忘れない。

相手は、6月27日に53歳で急逝した大船渡市出身の
永田(旧姓佐々木)七恵さん。

二人が交わした会話は、後にも先にも一度きり。
七恵さんは、「焦らないで、頑張って」と何度も繰り返し、
古里の後輩の飛躍を心から願っていた。

虫の知らせだったのか。
3月の東京マラソン後、那須川選手は
「本当に偉大な方で面識がなかったけど、どうしてもお話ししたくなった」
知人のトレーナーを通じて、七恵さんの連絡先を聞いた。

マラソンに、ずっと二の足を踏んでいた。
5年前、初マラソンで2時間29分台の好タイムを出したが、
2度目のレースの失速が頭から消えなかった。
苦しい時の壁が越えられない。

早くから転向を勧めた小出義雄監督に抵抗。
「自分はトラック種目で、世界を目指します」が口癖。
5000メートル、1万メートル、3000メートル障害…。
「トラックに執着したのは、マラソンに自信がなかったからかも」
すべて器用にこなした。

専門種目がない自分にいら立った。迷いが走りにも出た。
小出監督の「練習の一環で出てみて」の言葉で、
重圧なく東京マラソンに出た。
2時間25分台の好記録の優勝に、胸のつかえが取れた。

マラソンに絞ろう。
そう思った時、雲の上の存在だった先輩に会ってみたくなった。

電話した。
七恵さんは、「マラソンにたどり着いて良かったね」と祝福。
那須川選手のレース結果も、手に取るように知っていた。
「見ていてくれたの?」
感激で頭は真っ白。ただ、胸に響く一言は覚えている。
「今までよく頑張ったね。これからは、体と心に相談しながら走りなさい」

七恵さんは、女子マラソンの草分け。
国内初優勝は27歳と遅かった。
五輪出場の翌年、29歳で引退。
努力型で、ランナー晩年に好記録を出し、岩手を原点に持つ
「遅咲き」の二人の共通項を重ね合わせた助言。

それから1カ月半後、那須川選手は突然の悲報に、
身を引き裂かれる思いを味わった。
合宿明けの夏には、食事をする約束も。
胸が痛かった。
感謝とともに、七恵さんの遺志を受け継ぐことを誓った。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20090714_15

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万里の長城マラソン さんのコメント...

第9回万里の長城マラソンへようこそ!

はじめまして!
コース:5km/10km/ハーフ/10kmウオーキング/フルマラソン
開催地:中国北京
開催日:2010年5月1日(土・GW中)
参加費用:8,888円 ~
(北京五輪開催1週年記念キャンペーン実施中)

2009年5月1日万里の長城マラソン開催報告:
http://www.beijingglobalmarathon.com/greatwallmarathon/jp/houkoku2009.htm
(日本人参加者を含む写真と動画 満載!)


よろしくお願いいたします!
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朱 貴華
万里の長城マラソン責任者
FAX:06-42567983(大阪)
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