2008年6月9日月曜日

[第1部・フランス](上)AWAZUの柔道50年

(読売 4月21日)

「Dojo Shozo AWAZU」。
パリ市内にあるフランス連盟の道場には、
ある日本人の名が冠せられている。
粟津正蔵九段(85)。

今や日本の3倍近い56万人の競技人口を誇る
世界最大の柔道大国・フランス。
50年にわたって全仏チームのコーチを務めた粟津は、
「Maitre AWAZU(粟津師範)」とも呼ばれる特別な存在。

2月に行われたフランス国際は、2日間で2万2000人近いファン。
北京五輪でも金メダルを狙う男子100キロ超級の
テディ・リネール(19)は、アイドル並みの人気。
粟津にとっても、現在の盛り上がりぶりは、隔世の感がある。
「まさかここまで柔道のすそ野が広がるなんて、感激だね」

粟津が故郷の京都をたち、パリに来たのは1950年、27歳のとき。
戦前に柔道をフランスに伝えた川石酒造之助七段から、
「1年間だけ柔道を教えてやってくれ」と請われたのがきっかけ。
東洋文化の象徴でもある柔道。

だが、フランスには受け入れる土壌もあった。
粟津の教え子で、75年にフランス初の世界王者(男子軽重量級)
になったジャンリュック・ルージェ仏柔連会長(58)は、
礼儀を重んじる柔道の武士道とフェンシングに代表される騎士道には
共通点がある。国民性に合っていた」。

粟津は、理解しやすい教え方も心がけた。
日本では、初心者に最初に教えるのは受け身。
粟津は、川石が戦前に考案した「川石式」と呼ばれる
ユニークな指導法を取り入れた。

「背負い投げ」などの技名を「腰技1号」と記号化したり、
習熟度で帯の色をカラフルにしたり。
「苦しいのは長続きしない。楽しむ柔道が大事」。
ゲーム感覚が受け入れられて、入門者も増えていった。
「教える喜びで、日本に戻る気はいつの間にかなくなりました」
と粟津は笑う。

強化コーチに就任し、56年に東京で行われた
第1回世界選手権(男子無差別のみ)に全仏チームを率いて凱旋。
クルティーヌが4位に入賞し、人気は一気に高まった。

シドニー五輪100キロ超級で優勝したダビド・ドイエ(39)は
「粟津さんが頑張ったから、今の柔道人気がある」。
今でも、毎週金曜には柔道着姿で畳の上に立つ粟津。
生涯現役を貫く凛としたたたずまいに、
パリっ子たちは最大限の敬意を表している。

http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/feature/continent/fe_co_20080421.htm

0 件のコメント: