2008年6月12日木曜日

[第1部・クロアチア](中)練習のさなか 空襲警報

(読売 4月24日)

現在、男子ハンドボールのクロアチア代表の中心選手として
活躍するニクサ・カレブの自宅は、ボスニアとの国境にあり、
1990年代に内戦が起きた地域に近かった。

19歳の時、防空壕から抜け出して家の窓から、
母国戦車が敵陣を砲撃するのが見えた。
「心臓がドクドクと音をたてるのが聞こえた」。

当時、1996年のアトランタ五輪金メダリストのボジダー・ヨビッチ氏は、
首都ザグレブ市内のクラブチームでプレー。
練習をしていると、空襲警報が鳴った。
敵機が2分で飛んで来ることができる位置だったから、
急いで防空壕の中に隠れた。

ある日、大きな爆発音を聞いた。
爆弾が中心部の中学校の校庭に落ちた。
いつも子どもたちがサッカーで遊んでいた場所に、
クレーターのような大きな穴ができた。怒りと恐怖で、心臓が震えた。

50~60回の空襲警報があり、ザグレブ市内に爆弾が落とされたのは、
学校に落ちたものを含めて2度。
暗い防空壕の中で、警報がやむのを待った。
「爆弾を落としていった飛行機が飛び立ったのは、
多分、自分が生まれ育った場所。複雑な思いだったよ」と当時を回想。

当時使われていた防空壕は、今も市内の各所に残されていた。
そのうちのひとつに案内された。
幼稚園の遊具のひとつとしてある小高い山に、ドアが付いていた。
そのドアを開けると、奥にコンクリートで作った階段があり、
そこから人が下りられるようになっている。

地下へ5メートルほど階段を下りると、音楽スタジオの防音設備のような
分厚いドアが二重になっていた。
入ると、暗い15畳ほどの部屋が二つ。
金網のような3段ベッドが並んでいた。
足下には、1トンほどの飲料水が入るプラスチックタンクが一つ。
非常食の大きな袋も積まれていた。

カギを開けて案内してくれた幼稚園の関係者は、
「30年ほど前につくられ、90年代の内戦時にも使われた。
核攻撃にも耐えられるものだ。
写真は撮ってもいいが、場所は書かないでほしい。
これから使うことがあるかもしれないから」。

クロアチアの人々にとって戦争は過去の歴史ではなく、
今後も直面するかもしれない現実。
心の底には、いつも、防空壕の中での不安と戦いに備える
気持ちが張り付いている。

http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/feature/continent/fe_co_20080424.htm

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