2008年6月13日金曜日

[第1部・クロアチア](下)「多様性」が生み出した力

(毎日 4月25日)

アテネ五輪男子ハンドボールでクロアチアに金メダルを
もたらした、リノ・チェルバール監督の教え子たちは、
第1次黄金期の選手とは、競技への動機付けの面で大きく違っている。

チェルバールは、強さの秘密について、
どんな環境でも生き抜こうとする前向きさと意思疎通能力。
それは、クロアチア人の遺伝子に刻まれたもの」。

1991年に旧ユーゴスラビアから独立したクロアチアは、
南はアドリア海に面し、西にスロベニア、東にボスニア・ヘルツェゴビナと
セルビア、北にハンガリーと国境を接する。

多くの国に囲まれ、軍事的にも、貿易の上でも重要で、
歴史的に何度も他国に支配された。
チェルバール監督は、「それでも、悲惨さを感じさせないのは
国民に前向きさがあるからだ」。

体格に恵まれなかったこともあり、選手としては大成しなかった。
23歳の若さで指導者になったが、
最初は、選手より若いために信頼されなかった。
「そんな中で前向きにやっていたら、
必死になってチームをまとめようとする私を、
多くの人が認めてくれるようになった。
クロアチア人というのは、そういう人たちなんだ」

昨年9月まで男子日本代表の監督を務めていた
イビツァ・リマニッチ氏は、9か国語を話す。
クロアチア人の強みを体現する一人かもしれない。

様々な国から来た選手が、一つのユニホームで戦う
クラブチームで生きてきた。
伝統や文化、宗教が違う複雑な事情をのみ込んで、
勝利という一つの方向に向かわなければならない。
その上、選手には、言語の壁もあり、誤解が生まれやすい環境。

リマニッチ氏は、「そうしなければ生きられなかったから、
全員がその環境の中で生き抜こうとした。
最後は、どこから来たかなんて考えなかった。
コートに立ったら、プレーがすべてだとわかったよ」。

試合中にも笑顔を絶やさないミルザ・ジョンバは、
チェルバール時代の申し子。
取材に応じた日は誕生日で、朝からひっきりなしに電話が鳴った。
表示される国番号は毎回違い、そのたびに、違う国の言葉で話した。

様々な背景を抱えたファンを持つ彼のファーストネームが、
イスラム圏特有のものだということは、地元の人なら誰でも知っている。
「国のために戦うと言う人もいるけど、
僕はすべての観衆のために戦いたい。
プレーによって、国の隔てなく人を幸せにしたい」。

http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/feature/continent/fe_co_20080425.htm

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