2008年6月20日金曜日

[第1部・ブルガリア](上)新体操の伝統 刷新拒む

(読売 5月12日)

ブルガリア各地の民俗舞踊は、
細分化すれば、数百種類に及ぶと言われ、
五つのプロチーム、100以上のアマチュア団体が、
貴重な文化を現代に引き継いでいる。

雨ごいの祈り、求婚、クリスマス……。
遠い昔から、体の動きで感情を伝えるのは、自然な作業。
歴史が導いたのか、この国で新体操が大いに発展した。

1963年に第1回大会を迎えた世界選手権で、
ブルガリアは常に頂点を争い、87年の第13回大会までに
延べ7人の個人総合優勝者を輩出。
93年の第17回大会から、マリア・ペトロバが3連覇。
ところが、これを最後に女王は誕生していない。

首都ソフィアの小さなカフェで、エマヌイル・コテフさん(68)は
エスプレッソを一口すすり、「残念ながら北京五輪のメダルも難しいな」。
30年以上、新体操に接していた元新聞記者。

ブルガリアの持ち味は、巧みな手具操作と豊かな表現力。
しかし、難度の高い技の数や、体の柔軟性を重視する方向へ
採点規則が改定され、この分野を得意にしていた
ロシア、ウクライナなどの旧ソ連勢が、90年代後半から表彰台を独占。

芸術性にこだわるブルガリア選手への、得点上の低い評価に、
異を唱えるファンは少なくない。
新体操の本来の魅力を体現しているのに、というわけだ。
よしあしはさておき、伝統国の誇りがスタイルの刷新を、
言い換えれば世界のトップへの追随を拒んでいる。

さらに、別の側面も。
ブルガリアは第2次世界大戦以降、「ソ連16番目の共和国」
ささやかれるほど、旧ソ連に忠実な体制を敷いていたが、
89年の民主化を経て、少なくとも一般の国民の間では「恨み節」も噴出。

旧ソ連の支配で、自由な社会の到来が遅れた。
そうした事情もかんがみて、コテフさんは「強くならなきゃならん。
だが(新体操界が)旧ソ連勢のマネをするのは許されない」。

ナショナルチーム練習施設の壁に、自国の名選手と並び、
ロシア勢の写真が飾られている。
「誰がライバルなのか知ってもらうためよ」。
ブルガリア連盟、マリア・ギゴバ会長(61)の笑みは、
どこか緊張感に似た空気を漂わせていた。

民俗舞踊は、独自の形態を保って受け継がれ、
他の土地のものと融合することは、まずあり得ない。
「個性を大切にする国。マネは、文化を捨てるのと同じ」。
図らずも、新体操が抱えるジレンマを言い当てている。

http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/feature/continent/fe_co_20080512.htm

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