2008年6月20日金曜日

杉松公使の新墓碑除幕 ブラジル・リオ

(岩手日報 6月15日)

ブラジル移住事業を進め、同国のリオデジャネイロ市で客死した
盛岡市出身の杉村濬(ふかし)駐ブラジル第三代公使
(1848-1906年)の新たな墓碑除幕式は、
同市のサンジョアン・バティスタ墓地で
南米訪問中の達増知事やブラジル岩手県人会の千田曠暁会長らが出席。
達増知事、渡辺幸貫県議会議長、千田会長ら同県人会員、
同県人会賛助会の訪問団(南部利昭団長)一行ら約50人が出席。
知事と千田会長が新たに整備した墓碑を除幕し、全員で黙とう。
杉村公使は、外務省通商局長などを務め、日本人移住の必要性を説いた。
駐ブラジル公使として、1905(明治38)年にリオデジャネイロ市に着任。
移住事業の準備を進めたが、日本人移住第1号の入国2年前に病没。
歳月の経過で墓碑にひびが入ったことなどから、
岩手県人会が内外に募金を呼び掛け、創立50周年の記念事業として、
「第三代駐伯日本国 杉村濬之墓」などと記した
高さ0・8メートル、幅1メートルの黒御影石の墓碑を新たに整備。
千田会長は、「ブラジル移住100年の歴史をつくった人であり、
立派にしたいという思いで完成できた」と振り返り、
達増知事は、「海外最大の日系社会の礎を築き、古里の方々に
墓参してもらえるのは、国際人として本懐を遂げたと、ここで実感した」。
盛岡藩士の次男でもあった杉村公使について、
南部家45代当主の南部訪問団長は、
「存在は県民にあまり知られておらず、先人を知る取り組みを広げてほしい」。

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