2008年6月18日水曜日

[第1部・ルーマニア](上)「妖精伝説」色あせず

(読売 5月9日)

枯れ枝のように細い手足の少女が、ルーマニア体操連盟の幹部に
付き添われ、代表チームの練習場に現れた。
アンカ・グリゴラシュさん(50)は、あの日の衝撃を忘れられない。

「私も選手で、新顔を気に留めなかった。
でも、彼女が練習を始めたら、あまりの才能に『この世の人間か』と疑った」。
30年以上も昔の話。ナディア・コマネチは文字通り、宙を舞っていた。

1969年、画期的な強化システムを導入。
優秀な選手を、北東部のオネスティに集めて寮に住まわせ、
練習と生活を一括管理し始めた。
さっそく成果が表れる。
76年モントリオール五輪で、14歳のコマネチは史上初の「10点満点」を連発、
個人総合など3個の金メダルを獲得。
愛らしい容姿で、「白い妖精」と呼ばれ、
世界各国の好意的な視線を一身に浴びた。

しかし、英雄の名誉を得たコマネチは皮肉なことに、自由を失う。
チャウシェスク大統領の独裁政権下で、
体操は国威発揚と海外向けの宣伝に利用。
亡命を恐れる権力者は、現役引退後のコマネチに、
外国への渡航を認めなかった。
悲劇のヒロインは89年11月、ハンガリー経由で米国に脱出。
グリゴラシュさんは、「内向的で無口なナディアに、
あんな勇気があったなんて」と驚いた。

国の象徴的な人物が自由を奪われて、国民は絶望し、
同じ人物の行動力に希望を取り戻した。これは飛躍しすぎか。
「政府の内部でも、コマネチを後押しする動きがあったらしい。
彼女が国境近くにいたとき、なぜか警備が手薄だった」。
約半月後、チャウシェスク大統領を処刑に追いやる革命が起きた。

旧政権のにおいを残す集中強化システムは解除され、選手は各地へ散った。
ところが、復活を望む声が連盟に殺到。
グリゴラシュさんは、「わずか数か月で、体操界は元に戻りました。
多くの才能が死んでしまう。あのコマネチを育てたシステムなのに、と」

78年、北西部のデバに設置された二つ目の体操専門学校。
その校長室の壁に、巨大なコマネチの写真が飾られている。
ルーマニア・リベラ紙、ダニエラ・イオネスク記者は、
すべてはナディアから始まり、現在でもナディアの成功が支えに。
『祖国を捨てた』なんて批判は、ほとんど耳にしない」

北京五輪での活躍を期待されるステリアナ・ニストル(18)が、
「ナディアは模範的な存在。彼女の努力は、私たちに受け継がれている」。
うっとりした表情を浮かべていた。

http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/feature/continent/fe_co_20080509.htm

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