2009年6月16日火曜日

三沢光晴さん急死:ノアは続く!小橋が潮崎が三沢魂継承誓った

(毎日 6月15日)

主役なきリングに最後の三沢コールが響いた。
13日、試合中の事故で亡くなった三沢光晴さん(享年46)が
社長を務めていたプロレスリング・ノアは14日、
博多大会を予定どおり開催。

会場の博多スターレーンは、2600人の観衆で超満員、
三沢さんを追悼する試合前の10カウントでは、選手もファンも涙。
選手は、三沢さんの遺志を継ぐように激しい試合を繰り広げた。
広島県警は、頭部を強打した三沢さんの死因を頸椎離断と発表。
超満員の館内の誰もが泣いていた。
博多大会の試合前に行われた10カウントのセレモニー。
リング上には、三沢さんの遺影を手にしたノアの百田光雄副社長、
小橋、田上、小川、リング下には出場全選手が並んだ。
カウントの間、歯を食いしばって涙を流す選手たち。
場内からはすすり泣きの声が漏れた。

三沢さんの入場曲「スパルタンX」が鳴り響くと、最後の「三沢コール」。
もう一度、リングに姿を見せてくれ--。
かなわぬ願いと知りながら、ファンは涙ながらに絶叫し続けた。

三沢さんは、13日広島大会の試合中、
相手選手の岩石落とし(バックドロップ)を受けて頭部を強打。
搬送された広島市内の病院で死亡。
遺体が安置された広島市内の病院には、ノアの選手全員が集合。
小橋、秋山らが最後のお別れをした。
遺体を乗せた車が都内へ向けて出発、選手たちはすぐに博多へ。

創設時からノアを引っ張ってきた社長の急死。
この日の博多大会は中止になってもおかしくなかった。
百田副社長は、「満身創痍でもリングに上がる三沢社長の
遺志を継ぐ上でも決行すべき。
いろんなところで、いろんな人が楽しみにしている」、
22日まで予定されている今回のツアーの続行を決めた。

選手たちも、いつも以上に激しい試合を繰り広げた。
小橋はセミの6人タッグで、田上、谷口と異例の円陣を組んで気合を入れ、
気持ちのこもった126発のチョップを披露。
最後は、剛腕ラリアットからの体固めで佐野にフォール勝ち、
「(コメント)できない」と無念の思いを胸の内にしまいこんだ。
GHCヘビー級のベルトを初めて手にした潮崎は、
「三沢社長のつくったGHCベルトをなくしてはいけない。
もっと良くしていきたいし、社長に見ててもらいたい」と号泣。

百田副社長は、「(三沢さんは)肩がキツいと言っていた」、
ノア関係者は、「肩、首、腰、ひざと体はボロボロだった」と明かした。
K-1や総合格闘技が人気を集める中、プロレス人気は低迷。
テレビ中継は打ち切りが相次ぎ、観客動員でも苦戦を強いられた。
だからこそ、激しい試合を見せなければならないと、
三沢さんは社長業と掛け持ちでリングに上がり続けた。

新体制については、22日の後楽園大会後の役員会で話し合われる予定、
潮崎は、「社長のように体がボロボロになっても、
悔いが残らないようにしたい」とキッパリ。
ノアの誰もが、三沢魂を継承していく意思表示の言葉だった。

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