2008年6月26日木曜日

[第2部・エチオピア]ランニングの国の誇り

(読売 6月3日)

地平線にかすむ一本道を選手が駆けていく。
首都・アディスアベバから、車で約30分の高原の空気は薄い。
約2500メートルの高地で行う1週間に1度のロード練習中、
デスタ・マラソンコーチの声が響く。「休むな、走り続けろ」。
背中に薪を積んだロバが時折、驚いたように耳をピンと立てる。

近年のエチオピア男子長距離の歴史は、そのまま世界の系譜でもある。
はだしで走って1960年ローマ五輪男子マラソンを制し、
世界を驚かせたアベベ・ビキラは、続く東京五輪も制覇。
メキシコではマモ・ウォルデが、エチオピア勢の五輪3連覇を達成。
モスクワではミルツ・イフターが五千、一万メートルの2種目で金メダル。
90年代からは、男子マラソンでハイレ・ゲブレシラシエ、
トラックでケネニサ・ベケレの2人の世界記録保持者が君臨。

ベケレは言う。「僕はエチオピアにしか住んだことがないから、
他国で育っていたら、どんな選手になったかは分からない。
だけど、国と自分の誇りのために走っているのは、間違いない」

心肺機能を高めるのに最適な標高2000~3000メートルの高地で育ち、
子供のころから高いレベルで切磋琢磨する環境。
アベベから連綿とつながる英雄たちに触発される歴史。
確かに「強くなる要素」は多い。では、それだけが強さの源だろうか?

食料の安全や貧困の削減が国の最重要課題に挙がるように、
国勢は決して裕福ではない。
しかし、3000年前とされる、アフリカ最古の独立国としての「気高さ」は、
エチオピア人の体に染みついている。
その〈矜持〉を形にして満たし、国民の希望を一身に担うのが、ランニング。
アフリカ諸国には、オイルマネーで裕福な中東の国に“国籍を売って”
代表の座を望み、金に固執する「国家意識」の希薄な選手は珍しくない。

エチオピアは違う。
選手たちは、海外の賞金レースで稼ぎながら自国で生活を続ける。
「皇帝」ゲブレシラシエは、語気を強める。
「私は、アベベ以来のあらゆるものを受け継いでいる。
ここに住み、生きているのが、トップであり続けている最大の理由」。
大気汚染を懸念し、北京五輪男子マラソン欠場を表明、
国や陸連とあつれきが生まれる現状にも、国を離れる考えはない。

数時間後、デスタコーチの声がやみ、練習が終わった。
褐色の肌に汗を光らせた若手選手が話す。「ここで走ることがすべて」。
祖国への誇りとランニングの血。
この二つが強く結びついている限り、強者の系譜は続いていく。

http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/feature/continent/fe_co_20080603.htm

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