2008年6月28日土曜日

[第2部・南アフリカ](下)政治の渦中 走り続けた

(読売 6月10日)

ゾーラ・バッド(結婚後、ピータース姓)は歓声よりも、
怒号が渦巻く好奇の目の中で走り続けてきた。
「人類に対する犯罪」、とまで呼ばれたアパルトヘイト(人種隔離政策)。

それに対する反対の声が国際世論となり始めた1980年代、
10代のバッドは彗星のごとく登場。
世界のトップレベルの記録に、裸足で走る姿。
アパルトヘイト下の国の選手であることで、格好の政治的な論争の中心に。

南アが五輪舞台から締め出されていた84年ロサンゼルス五輪で、
英国に国籍を移して出場。
女子三千メートルでは米国のスター、メアリー・デッカーと接触。
デッカーは棄権し、大ブーイングの中、バッドも7位でレースを終えた。

南アが五輪の舞台に復帰した92年バルセロナ五輪には、
今度は堂々と南ア代表として再び同じ種目に出場したが、
すでに全盛期の力はなく、あえなく予選落ち。国際舞台から去った。

自分では、どうすることも出来ない状況下で競技生活を
送らざるを得なかったバッド。
「五輪にいい思い出はない。もちろん『あの時、ああじゃなかったら』と
思うことはある。スポーツと政治は、別であるべきなんだけど」

今も楽しみのために走るが、
テレビで五輪やスポーツを観戦することはない。
現役時代の写真やメダルも一切、家にはない。
選手育成にも興味はない。
第一線から退いた後、結婚し、長女と男女の双子の3人の子供に恵まれた。
静かな田舎町、故郷ブルームフォンテーンで子育ての傍ら、
キリスト教の教えを基にしたセラピスト(心理療法士)を目指している。

「誰に勝ちたいとか、記録を狙うなどの目的で走っていたんじゃない。
私にとってランニングは、悲しみや苦しみのはけ口だった。
でも、本当は、ただ好きだから走っていただけ

以前は、子供に自分の体験を話すつもりなどなかったが、
ある日、長女が学校から帰宅して興奮した口調で聞いた。
「お母さんがあのバッドなの。教科書に載っていた」。
政治的な発言は、今も避ける。
しかし、最近、親として子供に伝えたい気持ちも芽生えている。
「とてもいやな体験だったけど、今から考えれば、困難な状況に陥った時の
対処の仕方を学んだし、得難い経験だったとも思う。
何より、スポーツは人生を教えてくれるものだから

淡々と話し続けていたバッドに、ずっと身を寄せていた長女が顔を上げて、
母親のほおにそっとキスをした。

http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/feature/continent/fe_co_20080610.htm

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