(読売 7月2日)
卒業生の思いが、学校改革を支えている。
千葉市動物公園。
ラジオDJのKOUSAKUさん(41)が、集まった高校生27人に
「よろしくね」とビブス(袖なしシャツ)を配る。
「はい」と、元気よく答える高校生たち。
来場者に向かって、「ペットボトルのキャップを集めています」と
声を張り上げた。
高校生は、千葉県立浦安高校の生徒たち。
同校で開かれた講演会で、卒業生であるKOUSAKUさんから、
環境保護活動の話を聞き、月1回の浦安市内のゴミ拾いなどに
参加するようになった。
KOUSAKUさんは、「『浦高』に活気が出れば、地元も元気になる。
地元密着の学校だから」
浦安高は1973年、旧浦安町で初めての県立高校として誕生。
漁師町にできた待望の高校に、地元の中学生の多くが進学。
市役所で卒業生100人以上が働くなど、地元に根ざした学校。
生徒数の急増に伴って、意欲に欠ける生徒も増え、
十数年後には問題行動が目立つ。
地元の信頼は失われ、「浦安高の出身」とさえ言いづらい状況に。
改革に火を付けたのは、卒業生だった。
94年、野球部OB会が中心となり、部活動の充実や学科の新設などを
求めて、署名活動を実施。
予算の制約で実現しなかったため、今度は
「学校の中から改革してほしい」と、同高3期生の野球部OBで、
隣接する中学校で教えていた大塚知久教諭(49)を送り込むよう
関係者に働きかけた。
中高の人事交流により、OB会の希望通り浦安高で教えることになった
大塚教諭は、赴任した2003年4月、母校の変わりように驚いた。
「授業中に菓子を食べたり、ロッカーの上で寝たり。
とにかく好き勝手していた」
空き時間ごとに受け持ちの教室に行き、
ごみ拾いや落書きを消すことから始めた。
03年11月、千葉県教育委員会の「自己啓発指導重点校」に指定、
温度差があった教員たちが改革に向けて動き出した。
翌04年1月、全教員が校門前に立ち、髪を染めた生徒を自宅に帰す
指導を初めて実施。
2日間で80人以上が指導を受けた。
これを機に、生徒の意識が変わり、卒業式には、
茶髪や金髪は見られなくなった。
「『浦高生』としての誇りと自信を持ってもらおう」と、07年度から、
社会で活躍する卒業生を招いた講演会や講座を始めた。
昨年度、18人が青春時代や仕事、後輩への期待などを語り、
KOUSAKUさんもその一環で招かれた。
今では、部活動や行事も活発になった。
昨年度の退学率は3・1%と、02年度の11・1%から大きく改善。
進路決定率は83・6%。
「卒業生の支えが、浦安高の強み」と菅井悟校長(59)。
母校への愛が、地域に愛される学校の原動力に。
◆自己啓発指導重点校
中退者や長期欠席者の多い高校向けに始めた
千葉県教委の支援制度。
きめ細かい学習、生活指導を行うため、県内の中学、高校から
意欲ある教員を公募でき、基準より多い教員の割り当てを受けられる。
03年度に浦安、姉崎高が指定、
09年度は両校含め、4校に広がっている。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20090702-OYT8T00227.htm
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