2010年5月17日月曜日

インサイド:学ぶ・考える・やってみる 小平奈緒のスケート哲学/4

(毎日 4月30日)

「本当に私で大丈夫なんですか?」
最初は冗談だ、と小平奈緒は思った。
バンクーバー五輪を1年半後に控えた、
2008年夏の日本代表カルガリー合宿。
日本スケート連盟の鈴木恵一強化部長や、
羽田雅樹コーチ(ダイチ監督)から、
「小平、パシュートはどうだ」と声をかけられた時。

女子団体追い抜き(チームパシュート)は、2チームがコースの
対角線上から同時にスタート、3人が交互に先頭を代わりながら6周、
最後尾の選手が先にゴールした方が勝つ、チーム対抗戦。
連盟では、バンクーバー五輪のメダル有望種目と位置づけ、
カギを握る選手をさがしていた。

日本が勝つには、スピードしかない、と思っていた」と鈴木さん。
長距離選手の層が厚いカナダやドイツなどは、長距離専門選手を
3人集め、後半にラップを上げていけるが、層の薄い日本は難しい。
そこで、スピードで前半をリードし、逃げ切る戦略。

鈴木さんらが目をつけたのが、小平。
500mの日本記録保持者ながら、持久力もけっこうある。
カルガリー合宿で、小平が長距離選手と一緒の練習に
ついて行くのを見て、鈴木さんは「いける」と予感。
09年シーズン最初の全日本距離別選手権の1500mに
小平が勝ったことで、ダイチの田畑真紀、穂積雅子を加えた3人で
チームを組むことが、ほぼ確定。

穂積、田畑と先頭を交代し、3周目に小平が先頭に立った時、
加速して、リードを広げる。
大柄な小平は、後ろの2人の風よけになり、
疲労も軽減できるメリットもあった。
迎えたバンクーバー五輪本番、1回戦の韓国、準決勝のポーランドとの
レースでは、先行逃げ切りパターンがはまり勝利。
決勝のドイツ戦でも、ラスト半周までリード。
最後は100分の2秒差で逆転されたが、みごとに銀メダルを獲得。

五輪前に周囲が一番心配したのは、1回戦を勝ち上がると、
準決勝、決勝と1時間半を置いて2レースをしなければならないこと。
小平のスタミナが持つか。
「ワールドカップでは、500mで最大限に力を出した50分後に1500m、
なんてこと、何度もあった。それに比べたら、すごく楽でした」。
言葉通り、滑り切った。

メダル獲得のキーマンだった小平、自身が考えるポイントは違う。
「メダルは田畑さんのおかげ、といっていい」
小平と同い年の穂積は、スタミナが持ち味で、
歩幅が小さいピッチ走法。
小平は、スケートを大きく動かすタイプ。
3人が縦に並ぶ時、先頭の選手のリズムで滑るが、
小平は「穂積の後ろを滑って足を合わせると、ピッチが速すぎて疲れる」
そこを調整したのが、2人より12歳年長の田畑。
2人の間に入り、わずかずつテンポをずらし、つなぎ目になった。
小平は、「田畑さんのうまいところ」と、目立たないけれど、
大きな貢献をした先輩に脱帽。

決勝での惜敗は悔しかったが、
「おかげで、パシュートの面白さも難しさも知った」と満足。
高速リンクか低速リンクか、相手のメンバー構成次第で
レースプランを変えてもいい、と奥深さを感じた。
「個人種目より、心理戦の要素が強い。
そういう戦略を、考えるのが好きなんです」
団体追い抜きは、小平の引き出しをまた一つ増やした。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/archive/news/2010/04/30/20100430ddm035050103000c.html

2010年5月16日日曜日

盛岡広域圏が東北リード 組み込みソフト技術者育成

(岩手日報 5月13日)

盛岡広域地域産業活性化協議会(会長・谷藤裕明盛岡市長)は、
本年度、東北地方の12団体と協力し、組み込みソフトの
高度設計・開発技術者約160人を養成。

2007~09年度に組み込みソフト技術者の養成事業を行い、
延べ3477人を育成した実績を生かし、
東北のITスペシャリスト養成をリードする。

育成には、本県で開催するETロボコン東北大会を活用。
組み込みソフト開発における拠点性を高め、
一層の企業誘致につなげる考え。

養成事業は、同協議会が中心、東北各地の同様の協議会など
12団体と協力して実施。
企業で、プログラム開発に携わる技術者や学生らが参加し、
本県で08年度から開催しているETロボコン東北大会を、
「教材」として活用。

自律走行するロボットを制御するソフトウエアを競う
同大会への出場を通じて、高度なソフト設計のノウハウを学び、
東北の組み込みソフト開発をリードする人材を育成。

ETロボコン実行委員長を務める県立大地域連携本部の
曽我正和特任教授は、「ETロボコンのロボット制御を通じて、
非常に高い組み込みソフトのスキルが身に付く」

同協議会は07~09年度、企業誘致の拡大などを目指し、
組み込みソフト技術者の育成事業を実施。

岩手大、県立大、岩手ソフトウエアセンター、
盛岡情報ビジネス専門学校、県立産業技術短期大学校、
いわて産業振興センターなどが参加、延べ3477人を育成。

同協議会は、豊富な人材をアピールし、3年間でIT関連企業
10社を誘致。約180人の雇用を創出。

本年度は、同様の育成事業を継続する一方、
3年間の実績を生かし、東北各県のリーダーとなる
一層高度な技術者の育成を図る。
予算は、約2400万円で国が全額補助。

盛岡広域圏は、大規模な工業用地が少ない一方、
研究、教育機関が集中。
ソフトウエア系のIT事業所も150社以上立地し、
東北では仙台市に次ぐIT拠点。

県は、同広域圏の人材育成能力を生かして組み込みソフト産業を
振興し、県南の自動車産業と並ぶものづくり拠点に育てる方針。

盛岡広域振興局の成田賢悦産業振興課長は、
「3年間積み重ねた組み込みソフト技術者育成の実績を生かし、
盛岡広域圏が次世代の東北のIT産業を担う
スペシャリスト育成をリードしたい」

組み込みソフトとは 自動車や携帯電話、家電製品など
幅広い製品に組み込まれているソフトウエア。
パソコンで動作する汎用ソフトよりも、リアルタイムな制御が
求められることなどから、製作時の制限が厳しく、
全国的に技術者が不足。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20100513_16

インタビュー・環境戦略を語る:ファミリーマート・上田準二社長

(毎日 5月3日)

国内外に、コンビニエンスストア計1万5887店舗を
展開するファミリーマート。
店舗の改装や省エネ機器の導入によるCO2排出量削減、
食品廃棄物のリサイクルにも、積極的に取り組んでいる。
同社の環境戦略を、上田準二社長に聞いた。

--コンビニチェーンとして、環境負荷の低減に
どのように取り組んでいるか?

コンビニは、いまや各地域の生活者に密着した社会インフラ、
環境問題に取り組むのは当然の責務。
当社は91年、業界で最も早く環境問題を担当する社内組織を設け、
店舗や商品、物流など、各面から取り組んできた。
99年、環境に関する国際標準規格の「ISO14001」を取得。

--店舗での具体的な取り組みは?

◆冷凍・冷蔵ケースからの排熱を、冬季の暖房に利用する
システムは約4700店舗、外光の明るさに応じ、店内照明を
自動調光するシステムは、約2600店舗に導入済み。
屋根に太陽光発電のパネルを設置、看板の光源を蛍光灯から
LED(発光ダイオード)に切り替えるなどの実験的な取り組み。

年間電気使用量を、従来比で約10%削減できる木造店舗の
導入も進め、これらの最新技術を集めた環境配慮型店舗を
今年1月、東京都練馬区にオープン。
約2000台の配送車両も、排ガス削減効果の高い圧縮天然ガス車や
ハイブリッド車に切り替えている。

--商品面で環境への配慮は?

◆食品廃棄物を回収し、肥料や飼料としてリサイクル。
余った弁当などから作った液体飼料で、豚を飼育、
その肉を使った弁当を開発。
この循環システムには、東京都内246店舗が参加。
人気商品のフライドチキンなどを揚げた後の廃油も、
薬用ハンドソープに再利用、店舗で使っている。
素材や製造、使用時の環境負荷が低いプライベートブランドの
「We Love Green」商品は、他の商品と差別化でき、
売り上げアップにもつながっている。

--課題は?

◆太陽光パネルやLED照明などを使うエコ店舗は、
出店コストがまだ高い。
環境対策は待ったなし。
民間だけでは限界があり、国の支援も必要。
環境分野を手がける企業に対する国の助成なども、
今後検討していただきたい。

--海外出店を加速、今後の展開は?

◆ファミリーマート全店舗のうち、半数以上が海外、
大半がアジア地域に。
アジアでは、鉄筋や蛍光灯を用いたスタンダードな店舗を作り、
コストに見合ったエコ店舗の出店の仕組みが
日本で確立できれば、今後は海外でも積極的に展開したい。
==============
◇うえだ・じゅんじ

山形大卒。70年伊藤忠商事入社。
同社畜産部長などを経て、00年ファミリーマートに顧問として転じ、
02年3月から現職。秋田県出身。63歳。

http://mainichi.jp/select/science/archive/news/2010/05/03/20100503ddm008020016000c.html

「大塚モデル」都が運用開始

(2010年5月11日 読売新聞)

東京都は、都立大塚病院(豊島区)と地域の小規模な
医療機関が連携して、妊産婦への医療を行う仕組みを
「大塚モデル」と名付け、運用を始めた。

慢性的な産科医不足の一方、万が一のリスクに備えて、
妊婦側は大規模病院に集中しがち。
「(入院前の)妊婦検診は地元の診療所、出産は大塚病院」
役割分担を図ることで、大塚病院側は、合併症などの
「ハイリスク出産」への対応に、より力を注ぐことができる。

大塚モデルでは、大塚病院周辺の豊島、文京両区の
産婦人科診療所など、24か所を「協力医」として登録。
妊婦は、最寄りの協力医の元で検診を受け、
分娩を扱っていない場合、妊娠間近の34週以降、
大塚病院での診療、出産を受けられ、
ハイリスク出産の恐れが出てきた場合には、
速やかに大塚病院で受け入れる。

大塚病院は、母体や新生児の集中医療体制を備えた地域の大病院。
近年、妊婦が大規模な病院を選ぶ傾向が強まり、
こうした住み分けで、大塚病院側は外来診療などの負担を減らし、
よりリスクの高い診療にマンパワーを振り向けることが可能。
妊婦にとっても、家から近くて、待ち時間も短い医療機関で
定期的な検診が受けられるなどのメリット。

こうしたシステムは、「セミオープンシステム」と呼ばれ、
愛育病院(港区)などが取り入れている。
都の担当者は、「大塚モデルでは、妊産婦が安心して
地元で受診してもらうことができる」

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/5/11/120036/

2010年5月15日土曜日

資格へ言葉の壁 外国人看護師・介護福祉士 信州・取材前線

(2010年5月8日 毎日新聞社)

日本との経済連携協定(EPA)に基づき、
インドネシア、フィリピンからの看護師、介護福祉士の
受け入れが始まって約1年半。

県内では今、両国籍の看護師8人、介護福祉士7人が働く。
高齢者のケアなどの仕事に奮闘しながら、
日本の国家資格を目指す彼らだが、合格者はいまだゼロ。

難解な専門用語の習得には困難がつきまとい、
教育と実務の負担が現場に任される制度のアンバランスさも
浮かんでくる。

手探りが続く県内の病院をたずねた。
桔梗ケ原病院(塩尻市)の病棟で、イスラム教徒が
「ジルバブ」と呼ぶ布で髪を覆ったインドネシア人看護師、
セアニア・エスティアリニエさん(26)が患者のおむつを替えていた。
「コンニチハ。大丈夫ですよ、心配しないで」

笑顔を見せながら、体の不自由なお年寄りたちに優しく声をかける。
本国での看護師経験は2年。
08年8月に来日、日本語の日常会話はマスター。
慣れない日本だが、表情は明るい。
患者から名前で呼ばれたり、親しみを込めて
「インドネシアさん」と呼ばれるようになった。

同病院は09年、日本で看護師資格を目指す
インドネシア人女性5人を受け入れた。
「日本を知りたい」、「高い技術を学びたい」など、
来日の動機はさまざま。
本国では、2~8年のキャリアを持つが、
ここでの身分はまだ「看護助手」。
おむつ交換や入浴、体をふくなどが主で、
専門的な医療行為にはかかわれない。

5人は、日本の看護師試験を2度受験したが、いずれも不合格。
チャンスはあと1回。
もしだめだったら、帰国を余儀なくされる。

最大の難関は、漢字の習得。
せきは「咳嗽(がいそう)」、体をふくことは「清拭(せいしき)」、
むくみは「浮腫(ふしゅ)」--。
専門用語は、日本人でも難しい物も多い。

午後の約3時間半が、試験科目や日本語の勉強の時間、
アストウティ・カイディアワティさん(32)は、
「漢字の意味を理解するのは大変。解答時間が足りない」
アジザ・ナフィさん(25)は、「難しすぎて、勉強の意欲が
落ちてしまうこともある」

国や県の支援がない中、受け入れた病院側も手探りの連続。
教育プログラムは、スタッフの手作り。
時間割を定め、5人に漢字の習得目標を決めさせた。
過去の試験問題を使い、仕事の合間をぬって
主任以上の看護師が交代で教えたが、結果は伴わなかった。

千野啓子・看護部統括部長は、「教える方も教わる方も、
2回目の試験失敗で燃え尽きてしまった。
仕事をしながらでは、現場の負担も限界
民間の予備校の通信教育に、5月中旬から切り替える。

資格を得る見通しは立っていないが、セアニアさんは
「患者さんの笑顔だけでいい」
ザニ・サプトゥリさん(28)は、「言葉を使わなくても、
気持ちが分かる時がある」と屈託ない。
「インドネシアでも日本でも、患者さんを大切にしたい思いは
変わらない」と言う5人の挑戦は、来年2月の試験まで続く。
……………………………………………………………………
◇外国人看護師・介護福祉士の受け入れ制度

国同士の貿易や人材交流などの自由化のルールを定める
経済連携協定(EPA)を、インドネシア・フィリピンの両国と
日本は07年までに締結。

看護師・介護福祉士については、08年から受け入れが始まり、
今年4月現在、両国から日本の看護師資格を目指す358人、
介護福祉士には480人が来日、
国家試験の合格者は看護師の3人。
看護師は3年以内、介護福祉士は4年以内に合格できなければ、
帰国しなければならない。
……………………………………………………………………

県内の看護師・准看護師数は、約2万2800人(08年現在)。
90年約1万2200人、00年1万8100人と一貫して増加傾向、
人口10万人あたりの数も1043人(08年現在)と、
全国平均の980人を上回る。

医療・介護現場の実感は、数字とは異なる。
県看護協会の西沢喜代子会長は、過酷な勤務実態から来る
人手不足のほか、「女性が多く、出産や子育てに伴う
離職者も少なくない。
継続勤務や復職を後押しするため、労働環境の改善が課題」

桔梗ケ原病院が、インドネシア人5人を受け入れたのも、
看護師、看護助手の不足を解消するため。
千野啓子・看護部統括部長は、
「制度自体が『見切り発車』の面はあったが、少子高齢化を見据え、
将来的に貴重な人材になりうる」
県内では3病院、4施設が計15人を受け入れ。

京都大大学院の安里和晃・准教授(外国人労働者問題)は、
「看護師が足りない地域のニーズに応えるため、
海外の人材を使わない手はない」
現行制度は、受け入れを現場サイドに任せっきり、というのが実態。

厚生労働省の外郭団体「国際厚生事業団」が、
両国からの受け入れを希望する施設を募集。
半年間の日本語研修を行うが、それ以外の実務は、
外国人と雇用契約を結んだ受け入れ施設が担う。
独自の日本語学校への通学、試験科目の勉強といった
教育コスト、賃金支払いなど。

桔梗ケ原病院の場合、看護助手として働く5人に
日本人と同額の賃金を支払うほか、家賃も負担。
5人の教育に割く人手やコストも、病院の「持ち出し」に。

現場の負担の重さに批判が高まり、国はようやく今年度、
日本語学校の受講費の一部助成や、インターネットを使った
無料通信教育に乗り出した。
勉強の仕方や教材などを示した「標準学習プラン」も策定、
教育機関でない現場が、教育面をほとんど担う実態に変わりはない。

安里准教授は、「国の発想は、国家試験合格までのプロセスが
抜け落ち、現場にしわ寄せがきている。
海外の人材の力を発揮できる環境にしなければ、
制度は機能しない」

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/5/10/119922/

「廃材」で描く平泉 ジオラマに芭蕉の足跡菊池組事務所の入口に展示

(東海新報 5月12日)

大船渡市の㈱菊池組事務所の入口付近に、
俳人・松尾芭蕉が、江戸時代前期に訪れたとされる
平泉を表現したジオラマが設置。

同社従業員が、建設現場での廃材を生かして制作、
気仙にもゆかりがある平泉文化の世界遺産登録に
エールを送りながら、ものづくりの楽しさもアピール。

松尾芭蕉は、元禄2年(1689)旧暦5月13日、平泉に来た。
11世紀末、奥州藤原氏が繁栄を築き上げた地を訪れ、
夏草が生い茂った光景を前に、「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んだ。

かろうじて繁栄をうかがわせる中尊寺金色堂は、
五月雨の降り残してや光堂」と表現。
いずれも「奥の細道」に収められている。

同社では、芭蕉が東北を巡った季節に合わせ、
「歴史を見つめ直してほしい」との思いから、
従業員が2週間ほどかけて制作。
費用はほとんどかけず、建設作業で使わなくなった
資材を生かしながら、手づくり感に溢れるジオラマを仕上げた。

草地代わりに使っている緑色の布は、道路脇の斜面に
設置されている「防草シート」の切れ端を活用。
現場に合わせて切り取られ、中途半端な長さは
そのまま捨てられることが多い。

樹木の枝葉として使い古した竹ぼうきを使い、
道路に落ちていた小石や缶も、池を囲む石垣などに変身。
同じく廃材の板には、芭蕉が詠んだ句を記している。

同社では、奥州藤原氏の第三代当主・藤原秀衡が
平等院鳳凰堂(京都)に倣って建立した無量光院や、
平泉文化を象徴する国宝・中尊寺金色堂の模型を制作、
現在も入口前に設置。

余った建築資材や生活雑貨を使って完成させたもので、
リサイクルによる同社の「平泉文化」は、広がりを続けている。
金色堂に使われた金の一部は、当時代表的な産金地帯であった
気仙地方のものとされ、展示によって世界遺産登録への
応援ムードを盛り上げたい狙い。

同社では、「子どもたちに、ものづくりの楽しさを伝えたい思いも。
ごみであっても、手を加えることで、面白い作品ができることを
感じとってほしい」

http://www.tohkaishimpo.com/

インサイド:学ぶ・考える・やってみる 小平奈緒のスケート哲学/3

(毎日 4月29日)

長野県を貫く中央アルプスの最高峰、木曽駒ケ岳の東に
位置する宮田村に、ジュニア向けスケート教室
「宮田スケートクラブ」はある。
中学生になった小平奈緒は、新谷純夫さん(60)が指導する、
このクラブの門をたたいた。
新谷さんは、バンクーバー五輪に出場した新谷志保美の父。

「強い選手がいると聞いて、父とクラブの練習を見に行ったら、
新谷先生がこうしろ、ああしろ、と厳しく指導。
やってみたいな、と思った。
スケートの技術を教えていることにひかれた」と小平。

中学のスケート部活動が終わると、一目散に帰宅。
夕飯をすませ、車で出発。
父・安彦さんか母・光子さんの運転で、茅野市の自宅から
片道1時間半の峠越えドライブ。
練習後、自宅に帰り着くのは夜10時を過ぎる。
この生活を3年間続けた。

宮田クラブの近くにリンクはないが、ローラースケートで技術を教え、
新谷さんの自宅そばの急坂でダッシュをしたり、
自宅のウエートトレーニング場に据え付けられた、
自転車エルゴメーターやスライドボード、ウエート機器を使って鍛える。

滑る技術を学んだ小平は、急速に進歩。
中学1年の1シーズンで、500mのタイムは5秒も短縮。
「力任せだったのが、『どうやってスケートを滑らせるか』を、
初めて覚えたのでしょう」と新谷さん。

小平が中2のとき、才能は全国に知れ渡った。
地元の茅野市で開催された、14~19歳の全日本ジュニア選手権、
高校生や大学生を押しのけ、女子スプリント部門で優勝。
バンクーバー五輪で、当時中学生で出場した高木美帆が
話題を集めたが、小平も当時「スーパー中学生」と注目。

中学の進路相談で、小平は伊那西高志望を伝えた。
東海大三や佐久長聖など、県内のスケート強豪校からも
誘いを受けたのに、あえてスケート部のない伊那西を選んだのは、
「信州大受験を考えていて、進学コースがあったから」
強豪校だと、スケートだけになっちゃいそうで

伊那西は、宮田村の隣町、伊那市にある。
スケート部はなくても、新谷さんの指導を受け続けられる、
ということも背中を押し。

高校では、スケート同好会としてインターハイに出場、
高3で短距離2冠を達成。
この2冠で再び脚光を浴びたが、小平は内容に納得せず、
大学でスケーティングを変えることを思い立つ。

新谷さんは、「選手なら、だれでも経験する停滞期が高1、高2で来た。
停滞期に、新たな技術を教えても実にならないから、
体力トレを主体にした。
3年の時、いままでの財産で勝てるようアドバイスしたが、
技術は教えていない。
伸びしろを十分残して、結城さん(信州大監督)につないだ」

だれもが認める潜在能力を、促成栽培せずにじっくり育てる
周囲の指導方法は、小平には合っていた。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/news/20100429ddm035050004000c.html

世界有数の肥満国クウェート、ファストフード人気も一因に

(CNN 5月7日)

ファストフードの人気が高まっているクウェートで、
肥満や生活習慣病の問題が深刻化。
世界有数の肥満国家となった現状を重く見て、
政府は子供の肥満防止対策に乗り出した。

クウェートは、太り過ぎの人が人口の74%を超え、
肥満を原因とする心臓疾患や糖尿病も増加。
現在、人口の14%を占める糖尿病患者は増える一方。

厚生相によると、国民の高収入や手ごろな値段の食品、
あまり動かない生活スタイルが影響、15年ほど前から
肥満や太りすぎの人が増加。

クウェートでは、家事を手伝ってくれる使用人が一般家庭にも普及、
失業世帯でも、最低1人か2人はそういった使用人を雇っている。
外食の頻度が高いこと、ファストフード普及の影響も大きい。

住宅街には、一昔前までは見られなかったマクドナルド、
バーガーキング、KFCなどの店が進出、
オフィスや家庭への宅配も人気。

肥満の影響は、子供にも及んでおり、民間の肥満対策組織
GHKによれば、女子生徒は太りすぎが半数近くを占め、
成人の病気だった糖尿病に、8歳児がかかるようになった。

事態を改善しようと、GHKや政府の国家肥満対策委員会は、
学校の食堂や売店での健康的な食品販売、運動の勧め、
栄養教育促進などの活動を進めている。
次世代を担う若者に、健康な食生活を身に着けさせたい考え。

http://www.cnn.co.jp/fringe/AIC201005070014.html

2010年5月14日金曜日

研究費配分における多様性確保とは

(サイエンスポータル 2010年5月4日)

日本化学会の岩澤康裕会長(電気通信大学教授)ら
26の学会会長が、科学技術政策について
強い危機感を表す共同声明を発表。

研究費配分が、一部の研究者・機関に集中している現状を、
科学の発展に欠かせない多様な研究の芽をつみ、
科学技術立国という日本の国策にとってもマイナスだ、と強く批判。

研究費配分について、今の第3期科学技術基本計画を策定した
総合科学技術会議議員(当時)の阿部博之・元東北大学総長も
現状を憂慮。

「大きい発明、発見は、意外なところから出てくることが多い。
後で画期的な成果を生む可能性がある研究は、山ほどあり、
そういう研究の多様性を大切にしていかないと、
白川英樹さんのような独自性のある研究成果も生まれない」

現状は、「旧帝大と東京工業大学といった大学に
予算が集中し、地方の大学に行かず、画一的になり過ぎている」

政府の行政刷新会議は、4月に行った事業仕分け第2弾の
科学技術振興機構に対する仕分け評価で、
批判の矛先を、機構外に向けた。
「総合科学技術会議が機能を果たしていない」というコメントをつけ、
科学技術政策を抜本的に見直す考え。

26学会会長の声明は、このような時期に出されたことから、
その提言は政府のこれからの検討にも影響を与える。
「GDP比1%以上の研究費確保」といった提言は、
既に川端文部科学相も言っている。

研究の多様性を確保するためにはどうすべきか、
具体的な数字も挙げて訴え、提言した方がよりインパクトは
強かったのではないだろうか。

「多様な研究費の確保は、科学・技術の発展に必須」は分かるが、
以下の記述では、多くの人にぴんと来ない。
「オールジャパンで取り組む必要がある課題の推進に必要な、
年間10~20億円の中規模設備や中規模研究費分類を
整備する必要がある。
大型施設は必要ではない、多数の研究者が長年にわたり行う
年間数10~100億円の大規模研究分類を設ける必要がある」

「Beyond Innovation『イノベーションの議論』を超えて」
(丸善プラネット)編著者、前田正史・東京大学理事・副学長の主張は、
「科学研究費補助金は、東大のまじめにやっている
自然科学系の教授だと年間300万円ぐらいもらえる。
1年休んで、次の年にまた 300万円もらえるか、
というのが今の状況。

これで、新しい先進的な研究ができるかといったら、
竹やりのレベルだが、3倍の1件、1,000万円程度になったら違う。
現在総額2,000億円の科学研究費補助金を、
3倍の6,000億円にするだけでも、大きな効果が期待できる

こちらの提言の方が、だいぶ分かりやすい。
科学研究費補助金を3倍に増やす必要がある、は、
科学技術振興機構の北澤宏一理事長も同意見。
科学研究費補助金は、同機構の所管外だが、
北澤氏は日本の研究支援体制を2段ロケット方式に例え、
それが大きな効果を挙げている、というのが持論。

科学研究費補助金が第1段に相当し、
科学技術振興機構が担当する戦略的創造研究推進事業が第2段。

北澤氏は、ロケット1段目に相当する科学研究費補助金を、
「優れた研究を産み出すための豊かな苗床」、
「一人あたり300~400万円の科学研究費補助金を
支給されているのは、研究者の25%にすぎない。
研究費をもらえない研究者がこんなに多いのは、
研究人材の活用という観点からもったいない話、
科学研究費補助金の総額を、3倍程度に強化する必要がある」

ロケット2段目の戦略的創造研究推進事業は、
科学研究費補助金を受けている研究者の中から、
産業シーズにつながる可能性のある領域の研究を進めている
研究者1%を選び抜き、科学研究費補助金より、
1けた多い研究費を5年間支給。

「1%では、選に漏れる優れた研究提案が多すぎる。
今、支給されている人数の3倍くらいは優秀な候補がいる」と北澤氏。

1段目(ボトムアップ型基礎研究)、
2段目(トップダウン型目的基礎研究)両方とも、
「日本の基礎研究は、現在の3倍程度に強化されることが望ましい」

前田、北澤両氏とも、科学研究費補助金が3倍必要で一致。
前田氏は一人当たりの金額増、
北澤氏は支給される研究者の数の増加が必要。

26学会会長による声明は、運営費交付金、私学助成金が
削減されてきた現状を強く批判。

では、どのような研究費配分を望んでいるのか、
いまひとつはっきりしない。
どこにどれだけ必要か、研究者の側がまず明確に主張しないと、
研究費増の実現は難しい。

http://www.scienceportal.jp/news/review/1005/1005041.html

栃木のプロバスケ、リーグ制覇の影に地域密着

(日経 2010/5/3)

栃木県を地盤にするプロバスケットボールチーム
「リンク栃木ブレックス」が、日本リーグ優勝。

地域密着をめざすプロチームの同リーグ制覇は初めて。
スター選手の存在や劇的な試合展開が注目されるが、
その陰で、地域に溶け込むための地道な取り組みを積み重ねてきた。

「ユーター、次も頼むぞ!」、
「タクヤー、優勝を決めたシュートしびれたぞ!」――。
4月17日の優勝パレード。

普段は人通りの少ない宇都宮の中心市街地に、
元NBAプレーヤーの田臥勇太選手やリーグ得点王の
川村卓也選手らを一目見ようと、1万人が押し寄せた。

他の地域と比べ、特にバスケットが盛んだったわけではない。
県内スポーツに活気を呼ぼうと、2004年ごろから
有志が署名活動を開始。
06年、運営会社が設立。
様々な屈折を経て、日本リーグに昇格したのは2年前。

前年、リクルートやコンサルタント会社でチーム経営を学んだ
山谷拓志氏を、運営会社の社長に。
バスケットの名門、能代工業高校の元監督を
ヘッドコーチに招へい、田臥選手を獲得。

勝敗には、不確定要素がつきまとう。
コートの外でのサービスならば、
(ファンや企業を満足させるだけの)品質を保証できる
山谷社長はこう考える。

鬼怒川温泉のあさやホテル(日光市)とは、
選手のサイン入りボールなどを抽選で贈る宿泊プランを企画。
プロスポーツへのなじみが薄い土地だけに、
企業側もチームの「利用法」は手探りだったが、
「選手がブログに、温泉の感想を書き込んでくれ、
ファンの宿泊が増えた」(あさやホテル販売促進課)。

明治製菓と組んで、プレゼント付き菓子を企画すると、
売り上げは従来の8倍。
「チームや選手の知名度が上がれば、媒体としての価値も増す」
(山谷社長)。

地域との接点づくりも、その一環。
選手らが、先生役を務めるバスケ教室は500回を突破。
試合を盛り上げるチアリーダー「ブレクシー」や、
マスコット「ブレッキー」も交え、地域の催しにも積極的に参加。

こうした取り組みが受け入れられた。
宇都宮市は、体育館の命名権を無償で付与し、
愛称を「ブレックスアリーナ宇都宮」とした。

運営会社の業績も改善。
入場料収入の増加から、09年12月期は最終損益が初めて黒字に。

山谷社長の次の構想は、独立採算の2軍「D―TEAM」。
県南を拠点に群馬、茨城両県まで開拓。
若手に注目するファンや独自スポンサーの獲得も狙う。
選手が試合経験を積む機会も増す。
布石を打ちつつ、挑戦は続く。

http://www.nikkei.com/news/local/article/g=96958A9C889DE2E4E4E1E6E7E1E2E2E3E2E7E0E2E3E29F9EE2E2E2E2;p=F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2;n=9694E3E4E3E0E0E2E2EBE0E0E4E6;o=F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2

インサイド:学ぶ・考える・やってみる 小平奈緒のスケート哲学/2

(毎日 4月28日)

バンクーバー五輪で、小平奈緒の両親、安彦さん(55)と
光子さん(54)は、スタンドで3人姉妹の末っ子を応援。
2人とも、海外は初めて。
最後の種目、女子団体追い抜きで表彰台に立った
娘の姿を目に焼き付け、幸せを感じた。

安彦さんが一番印象に残っているのは、
日本選手団の鈴木恵一・総監督にかけられた言葉。
「小平は500m2本、1000m、1500m、
パシュート(団体追い抜き)の3レース、全部で7本もこなした。
多分、世界中でたった一人しかいませんよ」
我が子ながら、すごい、と改めて思った瞬間。

小平の人生最初のコーチは、スケートの選手経験など
全くない会社員の安彦さん。
小学校のクラブで、スケートを始めていた姉たちを、
近所にできた茅野国際スケートリンクで練習させようとした時、
当時3歳の小平を置いていくわけにもいかず、
連れていったのが始まり。
リンクサイドに、スケート靴をはかされたまま放っておかれた
小平は、いつの間にか氷上に立って、リンクを1周していた。

小学校では、姉たちの後を追うようにスケートクラブに入り、
姉たちよりも熱中。
末娘のため、安彦さんはサポートを考えた。
ゴルフやテニスには、初心者用の指導書があるが、
スケートにはなかった。
地元の茅野や岡谷で、実業団の大会が開かれると、
奈緒と一緒に見に行った」

茅野のリンクで受付をしていた光子さんは、
日本代表クラスの選手が大会前に練習に来ると、
電話で連絡したりもした。
「白幡(圭史)さんが来たよ」
母の電話で、父子は急いでリンクに行った。
「練習やレースをじっと観察して、『こんな練習をしていた』、
『足をこう動かしていた』、2人でよく話した」と安彦さん。

試行錯誤で、間違った指導だったかもしれない、
と父は首をひねるが、小平は、
「私のスケートの原点は父です」と感謝。
「見て、考えて、やってみる、というサイクルを
教えてくれたのが、父ですから」

小学5年のとき、小平のスケートへの熱中度を
一気に増す出来事が起きた。
地元・長野で開催された、98年の冬季五輪。
小平は、500mで金メダルを取った清水宏保と、
銅メダルの岡崎朋美のビデオを、テープがすり切れるほど見た。
中学2年のころ、本当にテープが切れてがっかりした。

五輪後の両選手の特集番組も、欠かさずチェックして録画。
ある番組で、岡崎が階段ダッシュのトレーニングをしていると、
見終わった後、自分も近所の坂を駆け上がる練習。
「ただただ、速くなりたかった。
岡崎さんみたいにきつい練習をしたら、速くなる、と思っていた」

小学校に入ったころ、「将来はオリンピック選手になりたい」と
口にしていたが、「『ウルトラマンになりたい』と言うのと同じ感覚」
長野という土地で、五輪の空気を体で感じたことで、
五輪選手という夢を、本気で考え始めた。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/news/20100428ddm035050049000c.html

「海中の凧」発電、4年以内の実用化目指す スウェーデン

(CNN 5月7日)

海底につないだ凧のようなタービンで、
海流のエネルギーをとらえ、発電に利用する技術の開発に、
スウェーデンの企業が取り組んでいる。
来年にも、試作品のテストを実施、4年以内に実用化する計画。

同国の新興企業、ミネスト社が開発を進めているのは、
「Deep Green」と名付けられた装置。
約12mの羽に、約1mのタービンを取り付け、
海底に100mほどのケーブルで固定。
かじで羽の向きを変えることができ、従来の潮力発電装置に比べ、
小さいのが特徴。
同社によると、実際の海流の速さの10倍に相当する
エネルギーをとらえることができる。
発電容量は、500キロワットになる。

同社のテッド・ローゼンダール最高技術責任者(CTO)は、
「海流の遅い場所やより深い場所など、
これまで潮力発電ができなかった海の利用が可能になる」

同社は、試作プロジェクトに必要な200万ユーロの資金を調達。
北アイルランド・ストランフォード湾でのテスト実施に、めどが立った。
ここは、干満の差が大きい入り江で、
すでに英企業の潮力発電所が稼動。

潮力発電には、水力発電のようなダムを設ける方式と、
風力発電の風車と同じようにタービンを回す方式があり、
ディープグリーンは後者に。
どちらも設備に費用がかかるが、海水の流れは風などに比べ、
安定しているため、有力な代替エネルギー源として期待。

http://www.cnn.co.jp/science/AIC201005070017.html

2010年5月13日木曜日

OECDが一貫性のある環境政策勧告

(サイエンスポータル 2010年5月7日)

OECDが、日本の環境政策の取り組み状況を審査した
「対日環境保全成果審査 評価と勧告」を承認。

低炭素経済や健全な物質循環、自然との共生を目指す
日本の政策に、一定の評価を示す一方、
「持続可能な発展に関する政府の施策をとりまとめる
具体的な組織は存在していない」と、厳しい見方も。

環境省によると、OECDによる評価は、各国の環境保全に関する
取り組みを審査し、必要な勧告を行うもので、
勧告は法的な義務を課すわけではなく、
環境政策の進展を支援するのが狙い。

今回の日本に対する審査は、韓国、ドイツ、ノルウェーが
審査国になり、昨年3月から始まり、環境政策委員会・
環境政策評価作業部会での議論を経て承認。

昨年7月、3審査国とOECD事務局の担当者からなる審査団が来日、
関係者からヒヤリングを行っている。
評価と勧告は、環境政策の多岐にわたっている。

各省が、独自の政策を進めがちな日本の現状も
しっかりと見ており、「政府のすべてのレベルにおいて、
分野別政策および環境政策の効果的かつ一貫性のある
統合を確保するため、組織間での協力を強化すること」と厳しく勧告。

「グリーン化」刺激策に対しては、
「自動車産業や農業生産を支援し、高速道路料金を割り引くなど、
環境にマイナス影響を及ぼし、競争をゆがめかねない
施策を含んでいる」などと評価、
「環境関連の税の利用拡大、反環境的効果を持つか
汚染者負担原則に矛盾するインセンティブや補助金の削減を視野に入れ、
2011 年の税制改正で環境配慮を中心に据える」など、
環境政策全般にわたり、具体的な勧告が数多く含まれている。

http://www.scienceportal.jp/news/daily/1005/1005071.html

川崎臨海部で新陳代謝進む 羽田国際化など契機に

(日経 2010/4/6)

川崎市臨海部の企業の顔ぶれが、変化し始めた。

石油や化学、鉄鋼といった京浜工業地帯を代表する
重厚長大型業種の工場が一部閉鎖を決める一方、
廃棄物リサイクルのアミタホールディングス(HD)など、
環境・リサイクル関連の事業所が相次ぎ稼働し、
羽田空港の国際化を前に、物流施設を拡充する企業も目立つ。
今後も、新旧業種の入れ替わりが進みそう。

アミタHDは、子会社のアミタが川崎区に
川崎循環資源製造所を稼働。
産業廃棄物からセメント原料を製造。
再資源化施設として、国内3カ所目の製造所で、
生産能力は1日に最大158トン。

川崎市臨海部は、「内陸部だけでなく、海沿いのセメント会社に
輸送可能な最適な場所」(熊野英介アミタHD会長兼社長)との位置付け。

大型リチウムイオン電池を製造するエリーパワーは、
川崎区に量産工場を稼働。
太陽光などによる発電装置と組み合わせた電源システムなどに
利用する大型リチウムイオン電池を、年間20万個を生産、
将来は同120万個体制にする方針。

第一高周波工業の加工工場も、今月末に完成、5月中の稼働。
同社は、高周波を使った誘導加熱技術に強みを持つ。
金属部品の熱処理など、CO2を発生させない技術として注目。

市の産業別製造品出荷額推移(2008年)によると、
全体の4分の1を占める石油は、07年に比べ約24%減った。
昭和シェル石油は2月、需要縮小に伴い、生産能力を落とすため、
子会社である東亜石油の京浜製油所扇町工場を閉鎖。
この分野では同社以外に、事業の縮小を検討している企業がある。

臨海部では、企業の物流拠点整備も進む。
羽田空港の再拡張に伴う国際化で、一段と貨物が集中する
川崎の臨港地区は、「成長余地が大きい」と考えての立地。

物流サービスの山九は、首都圏物流センターが稼働。
4階建て、総保管面積約8万6000平方メートルの
「フラッグシップ(旗艦)拠点」(同社)。

ニチレイ子会社で低温物流を担当する
ニチレイロジグループ本社は、11年2月完工を目指し、
大型冷蔵倉庫を建設中。

山九が拠点開設を決めた理由の一つは、
「羽田空港と横浜・東京・川崎の3港が、20分圏内にある位置」(同社)。
市は、「川崎臨海部の企業の顔ぶれは今後、少しずつ変わっていく」
(経済労働局産業振興部)

http://www.nikkei.com/news/latest/related-article/tc/g=96958A9C93819490E2E7E2E68B8DE2E7E2E6E0E2E3E29EEAE0E2E2E2;c=DNX;cg=31;bu=BFBD9496EABAB5E6B39EB5BDB6BFAB93AAB886A3B5BBB4E0FDA6B38A82B3A0E19E838A9DA7B3B685A48082BB9C82E0ABAB9F94A381A7EA83AAE2EBB9A49FEBBAE2A684B0A29CFD95BE98A0B1E295F991A4A8878287E0BEF9EBB39F90BCA5A0B38BEB86A6E4AA808B809EBE9EB3A1BFB79C82B083A0919C84BDB0949E859DBD8BBBA8FDEBBF889EB3B1B68395A19097A396E785989E85A6819CE2B0979CA79AA5AA91E0E284EAE083A481909DE7E0B7E5BEB69B84AA91A1E59F95B89AE385E3B6EABE9C9B91F997948881B8BB9A96E693B0FD949FE581A4E4B9A2AB8696BC88B393E383B0B9BBA29DA0A19C9B838AB5B79D95E2A6BCE796BDE787A2B49EBB88B3BDB4AA97B18B91BDBDA3E3B398B8B682B5A690BF9FE0BA9CE386E485F99BE4859BEA808BABB5A8A0A2A5EAB8BCBAEAB7E6A8B3999FE1BEB0A8B091E484EA8883B9E3888B95B19794B59BE0A0BF88B9A29EE2BDE0A2BC8B959DA6AA91908BFDA1919A9886FDB7A4ABB59697EF

インサイド:学ぶ・考える・やってみる 小平奈緒のスケート哲学/1

(毎日 4月27日)

スピードスケート女子の小平奈緒(23歳=相沢病院)
バンクーバー五輪で、スケート日本代表最多の4種目に出場、
個人2種目で5位入賞、団体追い抜きでは銀メダルに輝いた
女子スケート界のエースは、「学んで」、「考えて」滑るという
手法に磨きをかけ、4年後のソチ五輪に向かう。

スケート部がない長野・伊那西高から、国立の信州大学に進む、
異色の経歴を持つスケーターの歩みをたどった。

◇大学でつかんだ理論

信州大学スケート部の新入生は、入学から1カ月間、
長野市にある教育学部キャンパスの一角で、座学にいそしむ。
同学部教授、スケート部の結城匡啓監督(45)による講義。
通称、「結城理論勉強会」。

速く滑るにはどういう動きが適切か?
なぜなのか?
その動きができるようになるには、どこの筋力が必要で、
その筋力を鍛えるトレーニングとは?
筑波大でスポーツ科学を学び、スピードスケート選手としても
活躍した結城監督が構築した理論が、部員に一気に注入。

5年前、1年生だった小平は、初めて勉強会に出たとき、
「これだ」と思った。すぐに決断。
「自分のスケートを一度真っ白にし、新しいスケーティングにしよう。
時間はかかっても、変えたかった」
結城監督も、その時の小平の強い視線を覚えている。
「系統だった理論を学びたい、と本当に思っているんだな」と感じた。

小平は、中学時代、信州大スケート部の練習を見て、信州大を志した。
「がむしゃらにメニューをこなすのではなく、
目指していることが見えてくるようなチームだった」
将来は教師になりたいという夢も、この大学なら実現可能で一石二鳥。

理論的トレーニングは、普段の生活にも及んだ。
常にスケートの動きを意識し、曲げたヒザを伸ばすとき、
できるだけ前傾姿勢を保ったままで伸ばし、足の裏側の筋力を鍛えた。
滑る時、右足先が外に開くクセがあるため、
歩く時から進む方向にまっすぐ、と自分に言い聞かせた。

国立大学には、スポーツ選手の特別扱いはない。
1年生時、松本キャンパスで授業を受け、
練習は「エムウェーブ」まで1時間以上かけて通うか、
浅間温泉にある屋外リンクで行う。
3年時、教員免許取得のため、母校の茅野北部中に
1カ月間の教育実習に赴き、練習時間の減少は避けられなかった。
後悔はないばかりか、「全部プラスになった」と言い切る。

「たとえば」と小平は言う。
子供にスポーツを教えることをテーマにした授業で、
スポーツの苦手な子供の動きのまねができると、
良い指導者になる、と教わった。
「苦手な人の動きのまねができるなら、上手な人の動きもまねできる。
今度スケートでやってみよう」
授業中も、頭のどこかでスケートのことを考え、
思いついたプランを書き込んだから、ノートは真っ黒に。

4年生で取り組んだ卒論も、時間はとられたが、
面白いうえに役に立った。
テーマは、「女子千mでの世界一流選手のカーブワークの動作解析」
3年生の3月、長野で世界距離別選手権が開かれた。
結城研究室の大学院生が、高速ビデオでレースを撮影、
自分も出場する女子千mの撮影も依頼。
上位20人の映像をパソコンに取り込み、動きを分析。

カーブが得意でなかった小平は、中距離で敵なしだった
アンニ・フリージンガー(ドイツ)の動きと、自分との違いがわかった。
4年夏、カルガリー合宿での小平の滑りを見て、結城監督は驚いた。
カーブの入り口での体の使い方が抜群にうまくなり、
速いラップで長く滑れるようになっていた。

スケート関係者の中には、「小平が大学に行かなければ、
トリノ五輪に出場し、2度目のバンクーバーでは個人種目でも
メダルを取れた」という声も。
小平は、「大学回り道」説を、きっぱり否定。
「大学の4年間がなかったら、いまの自分のスケートはない」
自分が考えて決断した道は正しい、という確信が、揺らぐことはない。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/news/20100427ddm035050004000c.html

『東京現代建築ガイド』 パフォーマンスとしての建築

(CNN 5月5日)

ロンドンやパリ、ローマなど世界の首都と比べ、
東京には、歴史的建築のみならず、
20世紀前半のアーリーモダンの建築がとても少ない。
その穴を埋め合わせているのが、
世界で最も独創的で印象的な現代建築家たちの作品。

新刊書、『東京現代建築ガイド』(21st Century Tokyo)は、
1990年以後に建てられた、東京の建築の傑作を紹介する
究極のガイド。
ジョシュア・リーバーマンの印象的なモノクロ写真は、
ガラスとスチール、コンクリートの構造物の魅力を
最大限に引き出し、現役建築家のジュリアン・ウォラルと、
建築学教授のエレズ・ゴラニ・ソロモンが、
それぞれの建物の来歴と意義を解説。

CNNは、著者のウォラルとゴラニにインタビュー、
東京独自の建築テーマと、低成長時代における
この都市の将来について詳しく聞いた。

●CNNGo:1990年以後の建物だけ取り上げているが、
なぜこの年を区切りとしたのか?

●ウォラル:理由はたくさんある。
1990年は、バブルが終焉し、日本経済の新しい低成長期、
日本の「ポストバブル」が始まった年(世界の先進国も似通った状況)。

●ゴラニ:最近、「世紀の転換」の意義を論じる研究がたくさんあるが、
世紀の変わり目をはさんだ前後10年間の建築についても同様。

●ウォラル:1990年、建築学の全体的な思想がポストモダニズムを離れ、
モダニストのアイディア再評価や、新たな角度からのアプローチが始まった。
1990年以後、首都のグローバル化が進展し、東京にも大きな影響。

●CNNGo:「低成長」時代というが、六本木ヒルズなど多くは巨大建築で、
強大な経済と政治力を象徴。

●ウォラル:それは、グローバル化と関係。
経済成長は沈滞だが、資金を集め、建築へ投入する流れが変わった。
国と民間セクターの関係も変化。
過去20年間の東京と、その建築をみれば明らか。
再開発の規模自体が巨大になった。
グローバル化が東京の再構築を後押し、六本木ヒルズだけでなく、
汐留(電通ビル)、丸の内、秋葉原、品川に巨大複合施設が誕生。

●CNNGo:(日本の現代)建築家たちは「古典的」、伝統的な
デザインには全く興味をもっていないように思える。
どの建物も、ガラスとコンクリートで出来ている。

●ウォラル:レンガは「古典的」、ガラスとコンクリートは「新しい」と、
建築資材が、特定の時代を連想させる。
日本では、明治時代はレンガ、昭和はコンクリート、平成はガラス。
最近の公共ビルや商業用ビルには、つややかで透明なガラスを
用いるのがほとんど定番。

●CNNGo:審美的な目的か、機能的目的か?

●ウォラル:審美的であると同時に、文化的な現象。
ガラスは、建造物の内部と外部の境界を曖昧にするという
意味で、文化的である。
内部の暴露は、現代文化の一般的な特徴。

フェースブックは、人々の生活の内部をさらけ出す。
ショップに用いれば、ガラスは商品を客の目にさらし、
魅惑的な効果を与える(表参道のプラダ、銀座のエルメス・ビルなど)
技術的進化で、ガラスの機能性が高まり、設計に耐えられる。

日本では今、過去を再評価する動き。
歴史の保存的な試みが、各地で行われている。
丸の内の一号館美術館は、約50年前に解体された
19世紀の建物を復元。
外壁のレンガは、当時と同じものを中国から輸入するこだわり。

●CNNGo:東京の建築に関し、よく聞かれる批判は、
「目新しい建築資材やデザインを追求した結果、
建物がすぐに陳腐化し、時代遅れになるのが非常に早い」
建築家たちは、こうした批判を意識しているか?

●ウォラル:東京のビルの寿命は、米国の半分、欧州の3分の1。
これは、建築家が新しいものを追い求めたせいではない。
新しい資材の追求は、寿命の短さの原因よりは、結果。
日本建築が短命な理由について、
地震や世代交代に伴う建て替え衝動、税金問題などの他、
仏教の「無常」観という文化的側面から説明する向きも。

●CNNGo:不景気が長引いても、六本木ヒルズのような建物は誕生するか?
自治体や企業に、ビルを立て替える資金的余裕はあるか?

●ウォラル:民主党政権が誕生し、日本では政府や民間の支出を
徹底的に洗い直す動きが活発化。
新しい橋梁やダム、地方の文化施設などの公共工事を請け負う
建設業界は、自民党政権を支える業界の1つ。
民主党政権下では、「持続可能」の旗印のもと、
建築やその他のものを、より長期的な視野で考える風潮。
最近はやりの言葉は、「リノベーション」。
「壊して建設する」のではなく、既存の建物を再利用する。

●ゴラニ:相続法のもたらす財務的負担が、変化を強いている。
子供は、親から受け継いだ家を維持できず、土地を半分売却し、
そこに新しい家を建て直すしかない。

●CNNGo:この本は、「基本的には消えつつある、
壮麗な東京の建築物の探求」ということか?

●ウォラル:本で扱った建物の一部には、将来、主流となる
可能性のある「傾向」も現れている。
新しいアイディアをもつ若い建築家はたくさんいるが、
本書で十分に紹介できなかった。
彼らは、主に個人の住宅の設計を請け負い、
個人情報の問題などから、掲載は実現しなかった。

●CNNGo:日本の現代の建築家に共通する特徴的なスタイルは?
彼らは互いに影響しあっているか?

●ウォラル:(そういったスタイルは)まったくない。
建築家たちが探求している、一連のテーマがある。
建築雑誌で取り上げられる作品の多くには、
どこか「日本らしさ」のようなものがある。
小さく、白く、浄化されたようにみえる作品がそうだ。
アプローチには、驚くほどの多様性がある。

建築家のアイディアの輸出こそ、日本の隠れた文化的な成功。
彼らの影響は、国内よりもむしろ海外へ向かっている。
今年のベネチア・ビエンナーレ国際建築展の企画責任者は、
日本の建築家、妹島和世(SANAA)。
建築業界で最も影響力あるイベントで、
日本人が責任者を務めるのは初めて(女性責任者も初めて)。

●ゴラニ:日本が、中国やインドなど勢いのある国々のそばで、
地位と存在感とを保つことができたのは、建築という存在。

●CNNGo:建築物の中で、1990年代半ばのものと、
2000年代半ばのものの違いはあるか?

●ウォラル:外面の重要性が増した。表参道はよい例。
ビルの多くは、2000年代に建てられ、基本的に外面がゴージャス。

●CNNGo:環境に、もっともよくとけ込んでいるのはどの建物か?

●ウォラル:槇文彦の手がけた代官山のヒルサイドテラスが、
環境に絶妙に対話しているモダン建築の好例。
個人的な好みでは、横浜港大さん橋国際客船ターミナル。
屋上にすばらしい公共スペースがあり、市にはなによりのプレゼント。

●ゴラニ:本書では、コンビニや高層マンションなど一般的な建物にも、
読者の注意が向くように工夫。
こうした建築は、周囲に見事にとけ込み、都市生活の背景として
それ自身で1つの環境をつくっている。

●CNNGo:実際に見ないと、本当に理解できないものは?

●ゴラニ:六本木ヒルズ。

●ウォラル:横浜港大さん橋国際客船ターミナル。
写真で、このビルを正当化することはできない。

●CNNGo:東京で最もクレージーな建物は?

●ウォラル:三鷹天命反転住宅はクレージーにみえるが、
人間のありように対しての深い理解から生まれた。
2億4000万ドルのシャネル銀座ビルは、建築学的によくできているが、
資源の配分という意味では全くクレージー。
ふじようちえんは、素晴らしい建物だが、非常にユニーク。
普通の幼稚園のほうがクレージーにみえる。

●CNNGo:現代の日本建築から、東京の外に住む人々や建築家は、
何を学ぶことができるか?

●ゴラニ:建築と東京の街の間に、相関性は存在しないと信じているが、
そういうわけではない。非常に特殊なものだ。

●ウォラル:西洋人は、建物は永久的なものだと考えている。
建築は、(死や税金のように)永続的だというイメージ。
日本は、建築をもっと柔軟かつ動的で、文化の変遷に
直接影響されるパフォーマンスとして考える風潮。
こうした考え方は、建築家の肩にかかる歴史的重圧を和らげ、
もっと実験的な試みを可能に。

日本の建築で本当に面白いと思うのは、
境界に対する微妙かつ繊細なアプローチ。
内部・外部の境界、公的・私的空間の境界、自己・世界の境界と、
境界は様々だが、進歩的な日本の建築家は、
基本的な領域が物理的空間の中で、どのようにつながり、
分離できるかを追求し、可能性を広げている。
東京が明日、地震で崩壊しても、日本の建築家が才能をフル活用し、
現在の建設資材と先端技術で街を再建するのなら、
東京は21世紀都市の真のモデルとなる。

http://www.cnn.co.jp/fringe/AIC201005050009.html

2010年5月12日水曜日

スポーツ立国第1部 支援(7)予算増 迫られる結果

(読売 5月2日)

昨年12月25日。
国の2010年度予算案が発表、JOCには安堵の雰囲気。
「これくらいの削減なら、何とかなる」

事業仕分けで「縮減」と判定されながら、JOCへの補助金が
約26億円と4%減で済んだのは、「想定内」。

国内の競技団体を統括し、トップ選手の強化を進める
JOCへの支援は、国やスポーツ振興くじ(サッカーくじ、toto)など
多岐にわたる。
その使い道は、自由ではない。

totoからの助成金は、ジュニア選手の育成に
充てなければいけないなどの制約。
「すべての収入を一括管理して、競技団体に分配すれば、
これまで以上に効果的に活用できる」、
JOC専務理事の市原則之。

JOCが、競技団体と密接に連絡を取り、強化に必要な部分を
精査し、予算を割り振れば、効果は上がる。

今年度のスポーツ関連予算は違う。
JOCに補助金を渡し、選手の強化を任せる形ではない。

注目されるのは、3億円から18億円と6倍に増えた
文部科学省の「マルチ・サポート事業」。

メダル獲得が有力な競技・種目の情報収集や
医科学・栄養学の活用、トレーニング方法の開発などを支援。
支援するかどうかは、文科省が独自に検討、判断。

有望な中学生を集めて集中的に強化する
JOCの目玉事業「エリートアカデミー」に対する支援も、
国の姿勢が見て取れる。
この事業は、主にtotoの財源が充てられている。

文科省は、「ジュニアエリート支援プログラム」として、
親元を離れて生活する中学生の心のケアなどを目的に、
約2000万円を別枠で用意。

予算削減が叫ばれる中、
文科省は今年度のスポーツ関連予算の総額を、
過去最高の約227億円に増やした。

スポーツそのものには理解を示す一方、
JOC、日本体育協会への補助金は減らす。
強化、育成を関連団体に任せず、国主導で行う――。

今後、スポーツ基本法の制定、スポーツ庁の設立が実現すれば、
この流れは加速していく。

スポーツ関連予算について、
「民主党政権が、前政権との色の違いをアピールしたいのだろう」
という意地悪な見方もあるが、支援が手厚くなったのは事実。

JOCや競技団体が、国を説得できる新たな強化、育成案を示し、
結果を残せるか。
重い“宿題”が提示された。

http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/rikkoku/ri20100502_01.htm

葉酸・ビタミンB12投与、アルツハイマー改善

(読売 5月3日)

軽症期のアルツハイマー病患者に、ビタミンB群の一種の
葉酸とビタミンB12を投与すると、症状が改善することを、
見立病院(福岡県田川市)の佐藤能啓副院長(神経内科)が実証。

葉酸とビタミンB12が、アルツハイマー病の危険因子とされる
ホモシスチン(必須アミノ酸の老廃物)の血中濃度を下げることは、
従来の研究で明らか、患者の集団に投与して証明したのは初めて。

佐藤副院長は、同病院の軽症期の患者を、
〈1〉葉酸を1日1錠投与する第1群(90人)、
〈2〉1日に葉酸1錠とビタミンB12を3錠投与する第2群(92人)、
〈3〉アルツハイマー病の薬として国内で唯一使われている
「アリセプト」を投与する第3群(40人)――に分け、
2005年から1年間観察。

重症度を示すミニメンタルテスト(30点満点、値が低いほど重症)で
効果を調べた。

この結果、観察前は第1~3群とも平均20点、
1年後には、第1群は23点、第2群は25点に改善。
第3群は、18点に悪化。
第1、2群は、ホモシスチンの血中濃度も下がっていた。

第1群より第2群の方が改善、
葉酸とビタミンB12を併用した方が、より効果が大きい。
佐藤副院長が別に行った調査では、
中等症期以上の患者に、葉酸やビタミンB12を投与しても
改善しなかったことから、発病早期にのみ有効。

佐藤副院長は、「根本療法にはならないが、
病気の進行を遅らせるアリセプトしかない現状からみると、
今回の知見は患者にとって朗報。
アルツハイマー病が疑われたら、早めに受診してほしい」

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100503-OYT1T00373.htm

インタビュー・環境戦略を語る:コスモ石油・松村秀登常務

(毎日 4月26日)

景気低迷と低炭素社会への流れを受け、コスモ石油は
本業の石油精製・販売以外への事業拡大を進めている。
買収による風力発電事業への参入、バイオマス(生物資源)による
バイオガソリン生産など、環境貢献に企業の持続性を託そうと。
具体的な取り組みを、環境担当の松村秀登常務に聞いた。

--環境重視の中で、どのような事業展開を考えているか?

◆私どもは、エネルギーの安定供給が使命。
どのようなエネルギーを提供したらよいかが、最も大きな問題。
国内の石油需要が減る中、新エネルギーや環境といった
事業領域の拡大を目指すべきだ。

--具体的な事業は何か?

集光太陽熱、太陽電池の多結晶シリコン、風力発電、
先端技術としてバイオマス。
こうした分野の研究開発を進め、一部を事業化。

反射鏡で一点に集めた太陽光熱を利用する集光太陽熱は、
アラブ首長国連邦・アブダビに、100キロワット級の
実証実験プラントを建設し、データ収集。
多結晶シリコンは、07年から始めた。
「亜鉛還元法」という製造方法で、研究段階だが、
従来の手法より低コスト。
新分野に足がかりを見つけ、早く事業化したい。

--風力発電を買収し、業界4位に。

◆風力はもともと手がけており、将来性があると考え買収。
低炭素社会を目指す国のさまざまな制度もあり、採算が見込める。
石油事業が縮小し、風力の分野で補っていきたい。

バイオマスは、合成ガスから合成燃料や軽油、ガソリンを造る。
ターゲットは、マレーシアなどのアブラヤシの廃木処理。
今は技術開発段階、もともと持っている合成ガス化技術と
組み合わせ、海外展開も含めた形で進める方針。
バイオガソリンにも力を入れる。
堺市の工場で2011年、バイオエタノールと石油系ガスを
合成した「バイオETBE」の生産施設が完成。

余剰となっている精製施設の集約の意味もあり、
消費者には「環境に貢献したい」という需要が。
石油会社として、応えたい。

--石油以外の多角化ということか。

環境商品として、医薬、肥料、健康食品に使える
アミノ酸の一種「ALA(アラ)」を配合した肥料にも力を入れる。
昔、石油たんぱくの発酵技術に約20年間取り組み、
それがやっと花開いた。
企業である限り事業領域を拡大し、継続性を目指す。
石油だけではなく、将来の柱を持っておくべきで、
それが今なら環境だということ。
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◇まつむら・ひでと

75年京都大工学部卒、丸善石油(当時)入社。
コスモ石油坂出製油所長、執行役員を経て、
2009年6月から現職。長野県出身。57歳。

http://mainichi.jp/select/science/archive/news/2010/04/26/20100426ddm008020023000c.html

慶大SFC20年(7)地元の熟練農家に学ぶ

(読売 5月7日)

「地面の雪が解けないのは、土の温度が低いから。
もう1回ぐらい(雪が)降るよ」

関東一円に雪が降った直後の2月初め、
藤沢市の重田光雄さん(75)のハウスを訪ねると、
まず天候が話題に。
話し相手は、ハウスと目と鼻の先の
慶応大学湘南藤沢キャンパス(SFC)にある環境情報学部の
神成淳司講師(38)(4月から准教授)。

トマト栽培歴40年以上、関東で指折りの優れた生産技術を持つ
重田さんは、SFC研究所訪問所員。
ハウスでは、神成さんの研究室で開発したシステムが、
気温や土壌温度、日照量、残留肥料などの生育環境を、
24時間自動的に記録、解析。
孫のような年齢の学生たちも、週1回は農作業を手伝う。

「日本は人口減社会で、農地も減少傾向。
農家の高齢化も進んでいる。
世界的には食料不足。
日本の熟練農家の優れた生産技術は、世界に売り出せる武器。
従来は水をまく時期一つをとっても、一人前とされるのに
時間がかかったが、熟練農家の技術を解析し継承することで、
従来よりも短時間で、一人前になることが見込める」と神成さん。

藤沢以外でも農家と連携、優れた生産技術の継承や活用に
取り組み、農産物の付加価値の<見える化>も模索。
生産段階からのデータを携帯電話で読めるイチゴは、
一部スーパーで販売、好評を博している。
SFC1期生。元々は人工知能の研究者。

周囲に、今も農地が多いSFC。
入試の面接で、「自給自足できるキャンパスにしたい」と訴え、
入学直後に大学と交渉し、キャンパス内の土地を借り受け、
地元農家の指導を受けながら、農作物を栽培した伝説の人物が。
環境情報学部2期生で、現在は農産物流通コンサルタントの
山本謙治さん(39)。

「面白いと、学部長が何万円もカンパしてくれた。
草創期のよさですね」
山本さんが作った農業サークル「八百藤」は、
登録メンバーが150人に達した時期も。
開設時、地域に開かれたキャンパス・ビレッジ構想を掲げたSFC。
その地域とのつながりを作った功績が、
山本さんの塾長賞受賞を後押し。

SFCでは、今も地元とかかわろうとする学生は少なくない。
「学生はもっともっと、地元とかかわってほしい。
学生時代にできることは限られる。
いきなり大きなことをやろうとしても無理。
地域でできないことが、世界を相手にできるわけがない」。
1年の3分の1は出張で、全国を飛び回る山本さんから
後輩へのメッセージ。

◆キャンパス・ビレッジ構想

環境との調和や地域との共生を掲げた周辺地区開発構想計画。
1992年に報告書がまとまった。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20100507-OYT8T00272.htm